2021年10月09日

京洛逍遥(734)『都名所図会』(1)上御霊神社

 京都を気儘に散策しながら記してきた「京洛逍遥」も、次第に整理がつかなくなりました。しかも、コロナ禍においては、自宅から歩いて行けるところが中心となり、切り口がワンパターンとなっています。
 そこで、緊急事態宣言が解除されたこともあり、江戸時代に刊行された京洛名所案内としてもっとも知られている『都名所図会』(秋里籬島編著)を片手に、取り上げられている場所を順番に歩くことにします。
 幸い手元には、大正4年(1915)に刊行された『都名所図会』(上下2冊、安永9年(1780)板本の校訂本)と、『拾遺 都名所図会』(上中下3冊、天明6年(1786)板本の校訂本)があります。図版などは、架蔵本が鮮明なので、今後はここから引きます。

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 なお、国際日本文化研究センターから「平安京都名所図会データベース」が公開されています(https://www.nichibun.ac.jp/meisyozue/kyoto/?_ga=2.215913431.1152906200.1633774715-2086870358.1633774715)。今回の上御霊神社のことは「https://www.nichibun.ac.jp/meisyozue/kyoto/page7t/km_01_001.html」で確認できます。
 また、『都名所図会』に記述されている内容や謂われの吟味と現在の場所などについては、多くの報告書や研究書があるために一々はふれません。とにかく、今回の探訪記では、現状を写真で確認する報告としていきます。

 まず、『都名所図会』に掲げられている図絵から。

211009_kamigoryouzu.jpg

 現在の境内とほぼ同じようです。もちろん、細かく見ると摂社末社の位置が違います。他の社寺が大きく異なっているところが多いので、そうした違いは今は問題にはしません。
 左上には、次のように記されています。

御霊社記
君可代を
 守らん
 とてや
九重尓
  ち可く
   八所
宮ゐしむらん
    高清


 ここの「八所」とは、現在の祭神でいうと次の八座となります。いずれも、罪なくして横死した人々です。

早良親王(桓武帝同母弟)、井上内親王(光仁天皇皇后)、他戸親王(光仁天皇皇子)、藤原吉子(伊予親王母)、文屋宮田麿、橘逸勢、吉備真備(又は、文武天皇皇女吉備内親王)、火雷神(菅原道真とも)


 上御霊神社の楼門と南門の写真から掲げます。

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 南門を入ってすぐ左側に、応仁の乱で東陣の総大将であった細川勝元の後裔である細川護煕元首相が揮毫した石碑が建っています。

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 そこから拝殿と本殿を見ます。

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 境内をパノラマ撮影しました。ゆったりとした、手入れの行き届いた境内です。

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 楼門から西に向かって出ると、すぐ左角に入りたくなる和菓子屋さんがあります。

211009_wagasiya.jpg

 この神社は、その回りに中川が流れていたことが『都名所図会』の左下に記されています。絵を見ると、立派な川です。しかし、今はこの面影はありません。この川が、京都御所の東隣にある廬山寺や梨木神社の前を流れ、『源氏物語』では第3巻「空蝉」巻に出てくることなどは、また後日まとめて触れます。
 これまでに本ブログで、この上御霊神社のことは2度ほど取り上げています。
 参考までに記しておきます。

「京洛逍遥(318)上御霊神社の御霊祭」(2014年05月18日)

「京洛逍遥(426)フォーラム2日目は『洛中洛外図屏風』を歩く」(2016年12月13日)
 
 
 
posted by genjiito at 20:42| Comment(0) | ◎京洛逍遥
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