2021年08月09日

井上靖卒読(214)1964年の東京オリンピックに関する随想5作

 昨日、東京オリンピックの閉会式がありました。今月下旬からは、パラリンピックが始まります。
 コロナ感染の急拡大を考えると、その開催がどうなるのか、気を揉むところです。
 「東京オリンピックパラリンピック」の前半が終わりました。しかし、後半のパラリンピックのマスコミにおける取り上げ方を思うと、暗澹たる気持ちになります。この2つを切り離して別物として開催する必要はあるのでしょうか。大いに疑問です。

 過日、「井上靖卒読(213)1964年の東京オリンピックに関する詩3題」(2021年08月03日)を書きました。それを受けて、以下に井上靖の1964年東京オリンピックに関する随想5作を紹介します。いずれも、『井上靖全集』(第二十三巻、630〜637頁、1997年6月、新潮社)に収録されているものです。なお、上記ブログの記事の末尾では「4作」としました。実際には「5作」です。溯って当該記事を訂正しています。


(1)「私のビジョン」(昭和39年1月21日付『毎日新聞』)
 平和への夢の実現の場としてオリンピックを捉えています。
 次のことばの最後に「われわれ国民全部」とあるのは、今回の場合はそう単純ではありませんでした。コロナが爆発的に蔓延している中での「オリンピックパラリンピック」だったので、そもそも「オリンピックパラリンピック」とは何なのか、というスポーツの祭典の原点が問われ、国民に中止を含めた見直しの議論が巻き起こったからです。
国境、人種を越えた愛にささえられたオリンポスの火が、何日か東京で燃え続けるわけである。友愛と誠実の世界会議が東京で開かれるといってもいい。この会議に参加するのは選手たちだけではなく、われわれ国民全部であることはいうまでもあるまい。(628頁)

※『井上靖全集』の解題(786頁)には次のように記されています。
「東京オリンピック標語」募集にちなんで茅誠司ら各界計10名のうちの1人として寄稿。



(2)「ローマから東京へ」(昭和39年10月10日付『毎日新聞』)
 次のように始まります。
 ローマ・オリンピックの最終日の閉会式のときさようなら、東京で▽と書かれた大きな電光文字が会場に掲げられた。それを見た時、本当に東京で開かれるだろうかという不安なものを感じた。
(中略)
 その四年間があっという間にたってしまって、いよいよ東京オリンピックはいま開かれようとしている。一応道路もできたし、いくつかの競技場も、立派すぎるくらいにできてしまった。私たちがローマ大会の閉会式に感じた心配はまさしく杞憂だったわけである。(630頁)

 ローマ・オリンピックを取材した時のエピソードを交えて、聖火の点火式を野外劇だと言います。
 そして、次のことばで締めくくられています。
日本の出場選手に私の望むことは、美しく闘うこと、そして願うらくは美しく勝ってもらいたいことだ。(631頁)

※『井上靖エッセイ全集』第3巻に収録。


(3)「オリンピック開会式を見る」(昭和39年10月11日付『讀賣新聞』)
 各国の入場行進を再現する中で、私はビルマ(現ミャンマー)の記述に注意が留まりました。「胸を張って、誇り高げな銀行家の一団はビルマ。」(633頁)とあるのです。今、井上がこの表現をした背景がわかりません。井上はビルマをどう見ていたのか、これから気付いた時にメモを集積しておきたいと思います。
 日本人選手団については、次のように紹介しています。
 最後に日本の選手団が入場して来る。真紅のコートに白のズボン。この前のローマの時より、ずっと派手ないでたちだが、それが驚くほど身についている。「なんだ、外人選手より、ずっと大きいじゃないか」、そんな声が近くで聞こえる。なるほど堂々たる体格である。さすがに大きい歓声と拍手の波が、次々にスタンドを渡って行く。
(中略)
 日本の選手諸君、きょうどこの国の選手よりも美しかったように、あすから何日かをどこの国の選手よりも美しく闘ってもらいたいと思う。(634頁)

※『井上靖エッセイ全集』第3巻に収録。


(4)「五輪観戦記」(昭和39年10月24日付『神戸新聞』ほか)
 冒頭と末尾の、柔道に関する記述を引きます。
 きょうは神永をたたえる文章を書くことになるか、ヘーシンクをたたえる一文を草することになるか、全く見当がつかない気持ちで会場に臨んだ。日本武道館へはいるのは初めてであったが、以前の道場といった感じの全くない近代的なすばらしい円形闘技場であった。私も学生時代柔道をやっており、全国的な大会も幾つか見たが、会場に足を踏み入れた瞬間、隔世の感があるというのはまさにこのことだと思った。
(中略)
 日本の柔道界は、柔道だけは日本人が強いという考え方を改めなければなるまい。第二、第三のヘーシンクはいつ現われてくるかもしれないのである。こんどの神永、ヘーシンク戦からすなおに大きい教訓を受けとり、日本柔道はきょうから新しい一歩を踏み出さなければなるまい。(635〜636頁)



(5)「たくまざる名演出」(昭和39年10月25日付『毎日新聞』)
 昨日(2021年8月8日)の閉会式と比べるためにも、この新聞記事の全文を引きます。

 た く ま ざ る 名 演 出

 オリンピックの閉会式を見るため国立競技場へ行く。くるまを降りたとき、雨がぱらついたので心配したが、スタジアムのスタンドの最高段に落ち着いた時は、雨の落ちるのはやんで、黒い雲は割れ、藍色の宵空が美しく見え出した。青いフィールド、赤褐色のトラック、会場を見降ろすと、各国の旗手たちが等間隔で入場しつつあった。あれ、アベベだろう。そういう声ですぐ眼を移すと、なるほどアベベのあの立派な顔が、旗手の役を勤めて一層厳然としている。最後まできちんと自国の栄誉をになっている感じで見事である。
 約半数の旗手たちが入場したころ、スタジアムにはいつか夜が来ている。日本の旗手を最後にして、旗手の入場が終わると、つぎは選手団の入場だが、外国選手団の先頭はひどく乱れている。選手たちは興奮を押えかねたように、入り乱れて、なだれ込んでくる。このような演出が前もって仕組まれてあったのではないかと思うほど、その乱雑さはなごやかでむしろ美しい。ユニホームを着ている者もあれば、これからすぐ羽田へでも行くといった旅装としか思われぬ恰好をしている者もある。
 やがて場内のすべての照明は消され、スタジアムを埋める何万かの観衆の視線は聖火台に集まる。聖火は次第に畑を小さくして、やがてまったく消えてしまう。聖火が消えてしまった一瞬、場内は異様な静けさに占領される。だれも彼もが、これでオリンピックは終わったのだと思う。会場の中央にむらがっていた選手たちも、このときだけはしんとしている。これでオリンピックは終わったのだと、めいめいが自分の心にいいきかせているようである。アベベも、ショランダーも、ヘーシンクも、日本のあの強かったバレーの女子選手たちも、体操の遠藤も、みんなそう自分にいいきかせているに違いない。
 確かにこの時オリンピックは終わったのである。どの家庭にももうオリンピックのファンファーレは流れてこないのである。全力を尽くして闘った選手たちも、泣いたり、笑ったりして思い思いに声援を送った日本の大人たちも、子供たちも、それぞれが何日か自分の心を明け渡した興奮を消してゆく。劇では幕を閉じる時には、ある虚しさがあり、それが観客の心を帰宅へと駆りたてるが、オリンピックの閉会式では立ち上がる者はない。各自が納得のゆくだけ、自分の心を静めなければならないのだ。
 スタジアムが二回目に暗くなったとき選手たちを放牧してある牧場を、突如としてタイマツの火が縁どる。これはまたとてつもなく贅沢な見ものである。世界各国より抜きの若者たちを一カ所に詰め込んで、それをタイマツの火で飾る。蛍の光の曲が流れる。
つぎは再びメキシコで会いましょう=B電光板に文字が現われる。つぎのメキシコの大会ではと、心の中で誓っている選手たちもあるだろう。
 国旗は退場し始める。それに続いて選手たちも退場して行く。オリンピック選手から一人の社会人に戻るために、中学教師に、医者に、サラリーマンに戻るために退場して行く。
 スタジアムから姿を消す時だけ、多くの選手たちは俯向いた姿勢をとる。何もかも忘れて、闘いに闘った選手たちは、さて、これからどこへ行こうとしているのであろうか。今宵は東京のネオン・サインも、もの思わしげであるし、闇もまたビロードのように深く感じられる。私はオリンピックの選手ではないが、そのような歩き方をして、くるまの方へ歩いて行く。

(1964年10月25日 毎日新聞、『井上靖全集』第23巻636〜637頁)

※『井上靖エッセイ全集』第3巻に収録。
 
 
 
posted by genjiito at 18:40| Comment(0) | □井上卒読
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