2021年01月22日

谷崎全集読過(38)『金と銀』

 主人公青野は、落ちぶれる前の自分を思い出します。すばらしい空想の世界への憧れと共に、インドのガンジス川のことなどを。

ふと、五六年前、彼がまだ今日のやうに落ちぶれない時分、フランスから歸朝する際に暫く足をとゞめて居た中央印度のガンヂス河の流域の風光が、蜃氣楼の如く彼の眼の前に浮かんだ。ベナレスや、ラホールや、アムリツアルの町々の、夢の都のやうな不思議な色彩、寶石の結晶したやうな殿堂や寺院の建築、其處に住んで居る市民や行者の、お伽噺の人間じみた奇妙な服裝、−それ等の物が朧ろげになった記憶の底から、嘗て目擊した實在の世界とも、彼自身の空想の産物とも分らない程自由に精細に、燦然と彼の瞳を射るのであった。今もあの大陸のあの地方へ行けば、此の六月の青空の下に、あれ等の光景がまざまざと展開して居ると云ふ事實が、青野には何だか本當とは信ぜられなかった。(5頁下)


 お金もなく、人格的にもゼロの青野は、いまだに理解してくれそうな仲間を物乞いのように訪ね歩いています。
 本作でも、谷崎は人の感情を論理で割り切って語ろうとしています。不快感や嫌悪の情を、これでもかと描き出します。人間として良くないと思われる感情や行為を、赤裸々に語るのです。見たくない、聞いたくない人間の姿を見せられます。初期の谷崎の作品の特徴の一つです。
 そうかと思うと、こんなおもしろい表現で一人の若い女性を描写しています。

榮子はアトリエの隅の長椅子に腰をかけて、半分脱ぎかけたスリッパを、白足袋を穿いた鰈のやうなきやしやな足の先で弄びながら、書齋から戻つて來る大川に言葉をかけた。十八九の、體中がぜんまいのやうにしなしなと撓ひさうな、非常に滑かな背恰好の女である。相應に丈も高く、肉附きも豐かであるが、若し試みに胴中を持つて抱き上げでもしたら、水底から掬ひ上げられた藻草のやうな鹽梅に、べつたり濡れて垂れ下るかと思はれるほど、その手足はなまめかしく柔かに見える。鏝で縮らせたらしい髪の毛の二つに分れた裾が、面長の兩頰に鬖々と波を打つて、その房々した波間から、流れに咽ぶ石ころのやうに露はれて居る耳朶には、日本の女に珍しい土耳古石の青い耳環が、殿堂の檐を飾る風鐸の如くちらちらと搖いで居る。(24頁上)


 画家青野が栄子をモデルとして描く場面は、言葉を鏤めた凝りに凝った表現がなされています。谷崎らしい、と言える文章です。

 青野が描く絵の題名に関して、インドの影響が絡んでいます。こうした谷崎のインド体験は、いろいろな作品の中で確認できます。この作品も、その一例といえます。

⾭野は其の繪に何と云ふ題を附けていゝか分らなかつた。其處に現れて居る風俗や、建築や、幻の女や、それ等の持つて居る奇怪な美しさは、此の世の中に比類を求めることが出來ない。けれども若し、嘗て地球上に榮えた事のある國土のうちから、又その國土に住んで居た神や惡魔や人間のうちから、強ひて匹儔を求めるとしたら、其れは⾭野が常に憧れて居る印度古代の傳說の世界であつた。昔、釋迦牟尼佛が祇園精舎に法輪を轉じつゝあつた摩掲陀の國、阿難尊者を邪淫の闇へ陷れた惡行に依つて、經文の中に其の名をとゞめて居る妖女マアタンギイの住んで居た國、―その世界こそ、彼の幻に最も近いものであつた。數年前、歐羅巴から歸朝する際に其れ等の傳說の跡を訪れた⾭野は、未だにあの地方の空の色や、廢墟や、森林や、外道の神祠や、市街の有様を想ひ浮べる度毎に、それが現代の中央印度の景色ではなくて、マアタンギイの生きて居る摩掲陀の國であるやうに感ぜられた。少くとも彼女と彼女の住む世界とは、彼の頭の中に花を咲かせ實を結んだ。不思議にも彼は、邪念と獸性との光に燃ゆる榮子の眸に想到する時、いつも彼女をマアタンギイに擬して居た。さう云ふ譯で、⾭野は彼女をモデルにして畫かうとする今度の繪の題を、「マアタンギイの閨」と呼んで見た。勿論構圖の中に現れて來るものは、全然彼の夢を以て織り成された空想の所產であつて、必ずしも印度古代の風俗や傳說に準據したのではないにもせよ、⾭野は其の畫題に何等の不調和をも矛盾をも見出さなかった。⾭野に取つては、マアタンギイの名と榮子の肉體とは、もはや傳説の中のものでもなく實在の人間の姿でもなく、彼の胸臆の聖壇に祭られてある神の名であり肉體であつた。(41頁)


 後半は、不自然さを隠すための、犯罪者の心理が語られていきます。人目を忍び、密かな行為に愉悦を感じる谷崎の世界です。この後半については、以下の伊藤整の解説を参照願います。【4】
 
 
■初出誌:「黒潮」大正七年五月號、「中央公論」の同年七月發行の「秘密と開放」號
 
 
 今回読んだ『谷崎潤一郎全集 第十七巻』の解説で、伊藤整は次のように言っています。ここで「検閲」とあります。どのようなことなのか、機会をあらためて考えたいと思います。

「金と銀」は、大正七年五月號の「黒潮」に前の部分四分の一ほどが掲載され、同年七月發行の定期搖ァ「秘密と開放」號の「中央公論」に多少加筆して後の部分と一緒に「二人の藝術家の話」といふ題で掲載された小説である。この年、作者は數へ年三十三歳であった。(中略)この小説は、後半に入るに從って一種の藝術論的な作品となり、殺人行為や性倒錯や藝術家の苦悩そのものまでが、その手段となる観を呈してゐる。前半がかなり詳しく書かれ、後半結果をやや急ぎすぎたため、そのテーマが露骨になった傾きがある。それは、検閲その他の顧慮によつて、書きにくい場面があったからだらうと思ふ。(258頁)

 
 
 
posted by genjiito at 21:49| Comment(0) | □谷崎読過
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