2021年01月11日

「障害」と書くことに対する広瀬さんの意見

 昨秋、新型コロナウイルスのために実現しなかった国立民族学博物館の特別展「ユニバーサル・ミュージアム」は、今秋に延期となっています。その図録の原稿の再確認が進む中で、編者である民博の広瀬浩二郎さんが用字用語の表記について、以下の私見を示しておられます(昨日10日にいただいたメールの文中で)。私も、「障がい」や「障碍」という問題点をすり替えた用字ではなく、「障害」という表記を使っています。ただし、「視覚障害者」と言う場合には、「目が見えない人」としています。「障害」はことばの認定が安定していないので使いたくない、という思いがあるからです。さらには、「目が不自由な人」というような、「不自由」という表現も私は使いません。見えないから「不自由」だと言うのは、明らかに、見える者からの一方的な価値判断でのもの言いです。広瀬さんは、自分が不自由な身だとは思っていないはずです。
 江戸時代に『群書類従』の編纂をした塙保己一には、『源氏物語』に関して次のエピソードがあります。

ある夏の晩、保己一が『源氏物語』を弟子に講義していたら、風が吹いてきてローソクの灯が消えてしまった。
あわてた弟子たちは、「ちょっと待ってください。灯が消えて本が読めません」と言ったら、保己一は「やれやれ、目明きとは不自由なものじゃな」と笑いながらつぶやいた。(温故学会のホームページより)


 講義中に火が消えたことでうろたえる受講者に対して、目に頼る人たちに「不自由」という表現で対応しています。どちらが不自由なのか、立場と状況によって変わってきます。
 そのように、「障害」や「不自由」ということばは、その使われ方によっては意味する内容が違ってきます。弱者と強者との差を認めた「ハンディキャップ」ということばも、使い方に気をつけているところです。

 さて、前置きが長くなりました。
 以下、広瀬さんの考えをいただいたメールの文中から引用して、この問題に対する参考意見の提示とします。

・「障害/障がい」について: これは8対2くらいの割合で混在しています。
 近年、役所等の公文書では「障がい」という表記をよく目にします。
 この文字使いについて、僕はあちこちで書いたり喋ったりしてきました。
 僕の方針を押し付けるつもりはありませんが、「障がい」という文字使いの変更は事勿れ主義で、何の積極的意味もないと考えています。
 近年、「障害」の社会モデルという考え方が国際的なトレンドとなっています。
 「障害」は個人の問題ではなく、社会と個人の関りから生まれるという考え方です。
 つまり、「障害」の原因は社会の側にあり、それを取り除いていくのが社会共通の課題であるととらえるわけです。
 社会が「障害」を創りだしていると考えれば、「害」の字を使う意味がはっきりします。
 残念ながら、一部の当事者の間にも「害はけしからん」という意見がありますが、それは「障がい」が個人の属性であると考える浅はかな理解に根差しています。
 と、小難しいことをだらだら書きましたが、僕としては今回の図録においても「障害」で統一したいと強く希望しています。
 ただし、先述したように、最終的には各執筆者のご意向を尊重しますので、「さわる」「障害」について、上記の僕の意見に賛同できない、別の考え方があるという人は遠慮なくお知らせください。
 とりあえず、初校ゲラでは「さわる」「障害」で統一し、異論がある方はゲラに書き込んでいただくという形でもいいです。
 ご検討ください。

 
 
 
posted by genjiito at 20:35| Comment(0) | ■視覚障害
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