2020年10月18日

読書雑記(302)『観光のまなざし 増補改訂版』

 『《ウニベルシタス 1014》観光のまなざし〔増補改訂版〕』(ジョン・アーリ/ヨーナス・ラースン、加太宏邦訳、法政大学出版局、446頁、2014年9月 初版第1刷、2020年5月 第3刷)を読みました。
 まず、法政大学出版局のウェブサイトに掲載されている「内容紹介」を引きます。

観光学の名著が世界状況の変化に合わせ増補改訂。グローバル化、デジタル化、オンライン予約などによる格安旅行・格安航空の成長、遺産の景観破壊、人類の歴史における〈負〉の観光。フーコーの〈まなざし〉の概念を手がかりに、歴史的・経済的・文化的・視覚的レベルにおいて観光をテクストに文化を読み解く。研究者、旅行産業をはじめ現場の政策・施策担当者など、観光に携わるすべての人々に必読の書。


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 今回読んだ増補改訂版(第三版)の「まえがき」により、本書がどの部分に増補がなされ、どこが改定されたのかがわかります。

多々の改変を行うにあたって、共著者としてヨーナス・ラースンを加え、新しい目で本書の見直をした。旧版の章の文章も全面的に改訂した。古くなったデータや研究は削除し、新しい研究や理論を組み込んだ。観光のまなざし概念は、さらに理論的な考察の対象とし、考究を深めた。そのひとつとして観光の「負の側面」への着目などもある。
 新たに三つの章を立てて、観光のまなざしと写真=Aデジタル化≠ニの関係、観光理論や研究における身体的パフォーマンス≠フ分析、地球温暖化や石油ピークなど、グローバル化する観光のまなざしにとっての望ましい状況とか未来を問う観光におけるリスク≠フ諸相を、この三つの章で検討した。(xii 頁)


 多くの方がすでに本書の第二版をお読みになっているようなので、最初にこう書かれるとその箇所を中心に読み直せばいいので、非常に親切な配慮だと思います。
 また、「訳者あとがき」から、本書の歴史的な位置付けがわかります。長くなることを承知で引きます。

 本書は John Urry and Jonas Larsen, The Tourist Gaze 3.0 (London: Sage Publications, 2011) の全訳である。
 『観光のまなざし』の初版は、一九九〇年に出版され、観光学分野で画期的な研究書として高い評価を受け、斯界に著者ジョン・アーリの名前を知らしめた。常に観光学の必須文献として挙げられる今や古典となっている名著である。わが国でも、『観光のまなざし』(邦訳は一九九五年)への言及がみられないような観光研究論文はないといっても過言でないほど知られた著書となっている。
 訳者の見るところ、本書は、類書と極めて異なった印象を与える。論者の専門領域(社会学)から照射する観光論でもなく、また、逆に観光に関する種々のテーマを集成した論集でもないからだ。本書の著者は、観光の構造と原理を描きだそうとする意図のもとに、自分の専門には抑制を利かせ、むしろ哲学、美学、歴史学など多種多様な異分野からの知見を脱領域的に抽出し、そこに中心軸としての「まなざし」理論を貫通させたのだ。すなわち、観光を既存の学問領域に資する素材とは捉えず、独自な的として正面に据え、その解明に挑んだのである。このような研究態度と方法は、世界にも類例がなかった。本書が、大きな注目をうけた由縁はこの辺りにありそうだ。
 しかし激変する時代の流れのなかで、同書も内容に古さを露呈し始めて、初版からおよそ一〇年後の二〇〇二年に第二版が上梓されたのである。ところが、この第二版は、第七章の改変(「見ることとテーマ化すること」に)と第三版を予告するような第八章(「まなざしのグローバル化」)の追加が行われた以外は、初版の構成を踏襲し、データの更新、新事例の摂取などが行われたものの、コンセプトからみると、マイナーチェンジと言わざるを得なかった。このため、邦訳は見送られた。
 待たれていた「新版」がついに編まれたのは、さらに一〇年ほどを経た二〇一一年のことだった。すなわち本訳書がそれである。じつは、原著では、明示的に第三版だとは記載されていなくて、タイトルの後ろに「3・0」とつけられていて、初版にはそえられていた副題「現代社会におけるレジャーと旅行」も削除されている。『観光のまなざし』は前著を引き継ぐものの、内容の一新された別の著作であるかのごとく意匠されているのである。このため本訳書も『観光のまなざし 増補改訂版』と銘打つことにした。もちろん初版での記述が残された部分もないわけではないが、その箇所も相当に換骨奪胎され、徹底的に書き直しと構成のやりなおしが施されているのである。
 この大改訂が可能になったのは、新たに若い執筆者ヨーナス・ラースンが共著者として参加したことによるところが大きい。原著初版で一五六貞だったものが新版では二四〇頁になっていることをみても既存の版を一度白紙に戻すというほどの姿勢が感じられる。こういう形態的な変化はそれとして、私たちに気になるのは内容に係わる改変である。(373〜374頁)
(中略)
 さて、本書の新版としての意義をこのように紹介してしまうと、いかにも机上の煩瑣な抽象的議論の書のように解されるかもしれない。だが、内実は、きわめて観光実務に直結する刺激的なヒントに満ちた実学の書でもあるのである。最新の実証的なデータ、多くの新しい事例研究を基にこれらの論が構築され展開されているからである。
 ただ、実学とはいえ、世間に流布する、理論的裏打ちがすっぽり抜け落ちた単なる職務体験や観光現場のケーススタディや官公庁施策のような「実体的」観光論の類とは根本的に一線を画している。それは、観光現場の事例を多用した考究とはいえ、前述したような徹底した学術理論に支えられたものだからだ。その意味で、本書は、現代の観光旅行、余暇、文化政策、観光施策、経済活性化、地域振興、歴史・自然遺産および芸術展示などに係わっているすべての人にとっての必須実務書となりうるものである。
 もうすこしいえば、本書を一読すればわかるように、観光学というのは、観光事業・施設、交通産業のような実務に資するだけの研究ではない。地理学や地域学、民俗学、文化人類学、社会学などのような文化科学的な関心からも、さらには、景観論、写真論、比較文化論、社会史、労働と余暇の問題、都市問題、南北問題、環境問題、文化衝突の問題などからも関心がもたれ得るマルチ領域の学問であり、本書はこれらの関心からも広く読まれうるものだと考えられる。(377〜378頁)


 それではと、これまでに読んだことのない語りの世界へと、緊張気味に読み始めました。そして、早々に立ち止まりました。私には理解できない文章に出会ったからです。今、読み返しても、さっぱりわかりません。この先が思いやられます。

 フェミニズムの論者たちは、こういうメタファーの男性的な面を批判する。このメタファーは現実に根なしの束縛のない移動が可能な人、という肯定的含意があるからだ。しかし、そうでない人もあり、文字通りにであれ、比喩的にであれ「旅立つ」に至るのに相当これとはちがう事由を持つ場合があるのだ(Wolf 1993)。E・ヨキネンとS・ヴェイヨラは、その点で、多くの放浪への「男性的」メタファーの問題点を指摘している(Jokinen and Veijola 1997)。もし、こういうメタファーを、パパラッツィとかアル中のホームレスとかセックス観光者とかナンパ男という読み取りに変えてみると、こういう人間は、男視線の放浪理論のなかで受けていたプラス評価など消えてしまう人たちということになる。実際でいえば、ある者が移動するということは、常に一方に、滞っている者がいることが予想される。移動していく観光のまなざしは一方で滞留する身体(ふつうは女性)がいることが想定される。そういう人たちは移動し通り過ぎる者にたいして、その身体をさらして接客サーヴィスを供する。
(42頁)


 わからないものはわからないなりに、とにかく、読み進むしかありません。
 第2章で、イギリスでの具体例をあげて、観光が一般的に認知されていく変遷を丹念に実証していきます。わかりやすい反面、煩瑣な語り口に読み進む速度を上げることになりました。
 トーマス・クック社の話(60頁)は、かつてレスターへ行った時に気になったことだったので、遅まきながら興味深く読みました。
 第3章の「セックス観光」とジェンダーの話(102頁〜)は、観光の一面を炙り出しています。
 第4章の「観光文化の変容」では、「メディア巡礼」のことを取り上げています。
有名な映画やテレビドラマが上映され、ほとんどだれも足を踏み入れなかったそのロケ現場が明らかになると、そこに観光者の流れが起ることがよくある(Tooke and Baker 1996; Riley et al. 1998;Beeton 2005; Couldry 2005; Tzanelli 2008; Mordue 2009)。メディア研究者のN・クッドリーによると、「メディア巡礼」の急激な盛り上がりがあったことがある。これは「空間の中の現実の旅行でもあり、同時にまた日常世界≠ニメディア世界≠フあいだの構成された隔たり≠ニいう空間に行ってみるということでもある」(Couldry 2005: 72)。映画やドラマの中にあったモノを現実に探し求めるメディア巡礼は、ポストモダンのハイパー・リアリティ (Eco 1986)という形式での旅だ。そこでは虚像と現実が一つの世界にないまぜになっていて、この世界に入っても生の現実があるわけではない。ここで、私たちは、映画の風景は現実の風景と一致しているが同時にまた表象しているという問題に直面しているのだ。したがって、観光地もある意味ファンタジー・ランド≠るいはメディア・ワールド≠ネのである。(182頁)

 このことは、現在別に読み進めている『巡礼ビジネス ポップカルチャーが観光資産になる時代』(岡本健、角川新書、2018年12月)を取り上げた時に関連する問題でもあります。
 第7章の「見ることと写真」は、今では日常的となった写真に撮るという行為が、観光との関係で興味深く語られます。旅人が撮る写真や、インスタグラムの意義が新たな視点で見えてきました。

観光写真の大半は「引用」の儀式なのだ(Osborne 2000: 81 参照、同じく、Selwyn 1996; Jenkins 2003 参照)。観光者は、自分が出かけるとなると、そこでまた自分用に画像を探し求め、捉えることになっていくのだ。このことで結局、旅行者は、出かける以前から見ていた画像を自分たちも撮影してきたというのを友だちや家族に見せて、自分たちも本当にそこに行ったのだということを見せびらかすということになっていく。写真は、ある人が本当にそこへ行った、あるいは、その山はこのぐらい高かった、あるいは、そこの文化は実際に絵のようだった、あるいは、自分は家族そろってほんとうの団欒の時をもてたということの証拠品を提供するものとなっている。(279頁)


デジタル写真は写真画像を瞬時に出し、転送可能ににし、即、ディスプレー上で消費可能にしてくれる(Lister 2007; Larsen 2008a; Murray 2008, Rubinstein and Suis 2008. 図7.1参照)。「あのときあったこと」というアナログ写真の一過性にたいして、デジカメのディスプレーは継続中の出来事をここですぐ見せてくれるし、撮影、対象、消費の三つの空間も近接している。「アナログ写真」が将来見る人に向けてのものであったのにたいして、携帯写真(とかワイ・ファイ装置で使うデジカメ)は「時間を問わず」移転し、受信者は多少の差はあるものの同時に出来事を眺めることができる(Gve 2007, Hjorch 2007: Villi 2007, Larser 2008. 772参照)。こういうことが言える。すなわち、出来事を伝える「生中継の絵はがき」だと。デジタル写真が象徴しているのは、「即時性」、「今という力」、それから私たちが名付けたいわゆる「モニター性」である。(282頁)


 日常の中から、観光者の視点で非日常の形に切り取って、記念や思い出として固定し、いつでも再現できるのみならず、多くの人と共有できる動画像にしているのです。そうした今を、あらためて見直す視点を、まなざしというキーワードで体感させてくれました。
 なお、次の一文は、「観光」という言葉が持つ意味を考えさせてくれます。その軽い扱いに、私は戸惑うばかりです。

カメラと画像は観光者のものの見方を簡略化し機械的にした。複雑な場面もまるでお手軽で準備が整った写真用場面となり、体験と観ることは同類となり、観ることはとどのつまり、一督程度で、シャッターを切って写すためだけなのだ。現代の大衆観光への規範的な批判の多くは、D・ブーアスティンにはじまり(Boorstin 1964)、カメラ観光者の「別界」との遭遇方法を冷笑することがその中心にある。したがって、写真の位置づけをめぐって不毛の観光旅行者二分法が存在するのは驚くにあたらない。他の場面では洞察力のある考察をするJ・ティラーが、唐突に(という風に見えるが)、観光者で写真を撮る者を三つに区別しているのだ。「旅行者」(深くまなざしを投げかける人)、「観光者」(浅薄な一瞥の収集家)、「日帰り行楽をする人」(何にたいしても、一瞬、ざっと見る、あるいはスナップ写真を撮る人)というものだ(Taylor 1994: 14)。(289頁)


 第9章における、石油と観光を結び付けた問題提起は、こうしたことに無自覚だった私に刺激を与えました。

 観光は大量の石油を消費するが、この石油は不平等で腐敗した体制を下支えする役目をはたしていて、そういう体制がテロを生み、そこで観光者は場所によっては爆弾攻撃をうける危険性もある。観光地にはテロリストがふとやってくることもあるのだ。石油は世界を動かしている。しかし、その世界は観光の世界でもありテロの世界でもある。さらに油で世界が潤滑されるのはどうやらだいぶ減速をしてきているようだ。旅はますます高価になり、それが国際観光の長期的成長に疑問符をつけている。(356頁)


 観光に関して、これまで私は読み物風の新書をターゲットにして、遍巡っていました。そこへ、本書のような本格的な問題意識で観光を論じたものを読んだことになります。理解するのに、非常に時間がかかりました。しかし、対極的な見地からの観光の問題点が朧げながら見えてきました。いい読書体験となりました。【4】
 
 
 
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ■読書雑記
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