2020年10月14日

わが父の記(8)父の仕事(その3)和歌山へ証券を運ぶ仕事に思う

 私が中学生の時のことなので、今から50年ほど前のことです。今はなき山一證券を定年退職した父は、四条畷にあった証券会社に再就職しました。
 八尾市の高安に住んでいた頃なので、通勤はそんなに遠いところではありません。しかし、間もなく和歌山に通い出しました。まだ今のように宅配便が一般的ではなかったこともあってか、毎日のように四条畷にあった証券会社に出勤すると、受け取った証券などを持って、電車で和歌山まで運んでいました。飛脚のような仕事をしているんだ、と思いながら父の仕事を見ていました。
 長時間電車で移動するので、大変だろうなーと思いながらも、川柳を作るのが趣味だったので、道中は句作に励んでいたことでしょう。亡くなる直前に、父の川柳を句集『ひとつぶのむぎ』にまとめて私家版として刊行しました。「わが父の記(1)感謝の念を伝える」(2008年03月26日)に、その経緯を記しています。
 和歌山に行く道々の作品や成果も、その句集の中には多く収録できたはずです。
 父と同じ年代になった今、私も和歌山に向かう長旅の日々を送っています。車中で本を読みながら、父はこの車窓からの風景を見て、どの句を作ったのだろうと、思いを巡らすことがあります。
 もっと話をするんだった、という思いになることが多くなりました。満州での生活や、シベリヤへ抑留された時のことは、ほとんど聞かずじまいでした。いや、語ってくれませんでした。語って理解してもらおう、などという世界とは違う、異次元を生き抜いた父だったように思っています。

posted by genjiito at 22:34| Comment(0) | *回想追憶
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