2020年08月16日

京洛逍遥(649)戦前の人文字の大文字と2020年の6点の大文字

 昨日の五山の送り火の記事の中で、昭和18(1943)年〜20(1945)年の3年間は自発的に中止だったことを記しました。ただし、昭和18(1943)年と翌年は例外として、「8月16日の早朝、火を使わずに白シャツを着て立ち「決戦型」とする白い大文字を演出。」と書きました。
 そのことに関して、今日の京都新聞に関連する続報が掲載されましたので紹介します。

 まず、昭和18(1943)年8月17日の記事から。

「山腹にパッと白の大文字咲いて」の見出しが躍る。当時の模様を「白シャツ姿の第三錦林国民学校の4年生以上四百と一般参加の市民たち」計800人が「エッサエッサと如意ケ嶽の朝露を踏んで登坂」したと報じている。
 当時6年生だった、田中道子さん(88)=宇治市=、足立美津子さん(88)=同=、豊田恵美子さん(89)=京都市西京区=は「先生に白い体操着を着て登りなさいと言われた」と振り返る。夏休み中の少女たちは銀閣寺近くの登山口に集合、水一つ持たずに整列して登った。
 「火床に5人ぐらいで入って、街の方に背中を向けて一斉にしゃがめと言われて」と田中さん。すでに物資不足は深刻で、足元は皆ぼろぼろの靴やわらぞうり姿。おしゃべりも許されず「登山と言っても楽しい思い出ではなかった」。


 次に、戦後50年を控えた平成6(1994)年9月23日のことも引きます。

「白い大文字」は再び“元少女”たちをつなぐ。平安建都1200年事業の一環で、終戦直後に舞鶴湾沖で沈没した浮島丸が題材の映画製作があり、その1シーンとして、市民からエキストラを募集して当時の様子が再現されることになったのだ。
 「国民学校のみんなでまた登りたい」。田中さんは友人の松田良子さん(故人)に誘われ、同級生捜しを始めた。苦労のかいあって、撮影日の9月23日、60歳を超えた約25人が再会を果たし、山頂を目指した。「積もる話に花を咲かせて、本当に楽しかった」。半世紀を経て「白い大文字」は喜びを共有し合う場に変わった。その後、80歳まで同窓会は続いたという。


 歴史の舞台裏が、こうして明らかになっていきます。

 そして今日、午後には如意ヶ岳の大文字山で点火の準備が進められているのが確認できました。

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 賀茂川に架かる北大路橋の袂には、本来なら川に流すはずのお供物を回収する箱が、整然と並んでいました。これも、伝統行事ならではの配慮です。

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 北西に位置する船形でも、帆柱のあたりで点火の準備が進んでいるようでした.
 こうして、今年も着々と、あと数時間後の送り火に向けた準備が整っています。

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 今夜午後8時、如意ヶ岳の大文字には6箇所に点火されました。
 この新型コロナウイルス禍の送り火も、歴史の一幕となります。

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 船形も、一つの火が確認できました。

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 ご先祖様をお見送りすると共に、この夏の無病息災を祈るのみです。

 参考までに、昨年の満月の中での大文字は以下をクリックしていただくと見られます。

「京洛逍遥(570)満月を戴く大文字の送り火-2019」(2019年08月16日)
 
 
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ◎京洛逍遥
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