2020年06月07日

読書雑記(286)中井治郎『パンクする京都』

 今日の如意ヶ岳の大文字は、山頂付近に夕陽を浴び、これまでで一番いい姿を見せていました。めったにないことなので、写真を添付します。

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 『パンクする京都 オーバーツーリズムと戦う観光都市』(中井治郎、星海社新書 156、2019年10月)を読みました。

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 観光産業を起爆剤とする地域活性化に、大きな変化が起きています。地元の人々が「もう観光客はたくさんだ!」と言っているのです。一体何が起こっているのでしょうか。そのことを、京都を例にして語るのが本書です。
 ただし、前半はすでによく知られている事実を列記し、それに短いコメントを加える形で進みます。舞妓、伏見稲荷、民泊と、お決まりのネタが並びます。切り口がマスコミと同じで、切り込みも浅いので、話を流して読み進まざるを得ません。
 あげられている事案や事実を裏付ける数値などは、すべてネットなどに公開されているものです。どこからどこまでが引用で、著者の判断や意見はどこなのかがはっきりしません。失礼ながら、学生の単位レポートによくあるパターンです。出典明示がなく、住民の発言として示されたものも、どこの誰なのか発言者個人が見えません。新書ということもあり、すべてが著者の作文に丸め込まれています。人に読ますのには、無責任だと思いました。「京都の住民たちは戸惑い、怯え、憤った。」(39頁)とあっても、その言葉に迫りくる熱気が伝わってきません。机の上で作られた文章に留まっています。
 2019年7月の参院選は、本書が書かれていた時期です。その争点が「観光公害」だったという指摘は、その後ほとんど展開しません。もちろん、本書が刊行されたのは2019年10月なので、2020年2月にあった京都市長選のことに触れていないのは仕方のないことです。さらには、ここで取り上げられている観光の問題が、本書刊行後の半年経った今は、新型コロナウイルスのために観光客がいなくなったことで、新たな問題と向き合うことになっているのです。これらも、もちろん著者には予測できなかったことです。その意味では、2019年までの京都における観光の問題をレポートとしてまとめた本である、とした方が良さそうです。
 著者には失礼ながら、次の時代の観光について考える時に、こんなこともあったという過去の事例を参考にするための、温故知新に資するものだという理解に留まる一冊です。
 ここでも、ベネチアやバルセロナの観光公害のことが挙げられます。過日取り上げた村山祥栄氏の本「読書雑記(285)村山祥栄『京都が観光で滅びる日』」(2020年05月23日)と同じです。
 その意味では、次の文章はそのまま新型コロナウイルスによってまったく様相を異にした観光を考える時に、そのまま使えます。

 いま日本の京都で起きている問題は京都だけに起きている問題ではない。また、世界中の歴史ある観光都市で、同様な問題が同じ時期に起こっていることも意味のない偶然ではない。これらは同じ構造、同じ根を持った問題であり、その知見や経験も多く共有できるはずのものである。(44頁)


 なお、本書の副題にもあるオーバーツーリズムについて言及する箇所を、いくつか切り出しておきます。

 そこで本書ではUNWTOの基本的な認識に則りながら、「地域のキャパシティを超えた観光客の増加が、地域住民の暮らしや観光客の観光体験の質に受け入れがたい悪影響を与えている状況」という意味でオーバーツーリズムという言葉を使用していこうと思う。(44頁)


 一般的にオーバーツーリズムとは観光客が地域にもたらす利益と地域の負担のバランスの問題であるといわれる。どれだけ「迷惑」をかけられていたとしても、観光客および観光産業が地域にもたらす利益を地域の人々が感じているのであれば「観光が過剰である」とは意識されないのだ。つまり、オーバーツーリズムは問題化されないということである。しかし、大量の観光客を受け入れても観光客向けの商業施設やホテルなどの観光産業にかかわっている人以外にはほとんど利益がないとなっては、地域住民の多くにとっては「観光客なんか迷惑でしかない」ということになってしまうのも無理はない。(62頁)


 オーバーツーリズムは地域の人々の「感じ方」の問題であるという識者もいる。であれば、「街を奪われた」と感じているかどうかが、オーバーツーリズムが問題化されるかどうかの大きな分岐点になるだろう。(182頁)


 もう一箇所、私が知らなかったミニ知識とでもいうべき箇所も切り抜いておきます。

 怪獣映画ではある種のファンサービスとして劇中でリアルに再現された日本の主要都市が、その都市のシンボルとともに破壊されることがお約束となっている。1993年の『ゴジラvsメカゴジラ』でゴジラの吐く青白い放射熱線で破壊された京都のシンボルは京都タワーだった。しかし、1999年に公開された『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』でガメラが日本特撮史に残る死闘を演じ、そして破壊するのは1997年に竣工したばかりの京
都駅ビルなのである。(126頁)


 本書の第4章「京都は誰のものか?」は、お急ぎの方にお勧めできる章です。この中の「祇園ウォッチング」以下の節は、著者による実地報告となっているので、文章もそれまでとは違って生き生きと語られています。
 新型コロナウイルスによって、本書の役割はまったく異なることになりました。著者には、この本を踏まえて、新型コロナウイルスを取り上げた次の一書を出してもらいたいと思います。もっとも、こうした内容を、一冊の本にして刊行する意味があるのか、という感想を私は持っています。ネットに個人サイトを立ち上げ、ご自分の考えを、折々にアップされたらいいのです。この手の内容のものは、本にするほどのもののではないと思っているからです。
 本書のテーマは、すでに古くなってしまいました。早急に、次の意見を聞きたいと思います。【2】
 
 
 
posted by genjiito at 20:50| Comment(0) | ■読書雑記
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