2020年05月23日

読書雑記(285)村山祥栄『京都が観光で滅びる日』

 『京都が観光で滅びる日 日本を襲うオーバーツーリズムの脅威』(村山祥栄、ワニブックスPLUS新書、2019年12月25日)を読みました。

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 本書は、著者が2020年2月に行われる京都市長選挙への立候補を表明してからの刊行なので、多分に市長選挙の活動の一環を成すものだと意識して書かれている、と理解してよいかと思います。
 内容は、現在京都市が抱える問題点を取り上げています。現状がどうで、どんな問題点があるのかを、さまざまな状況説明と具体例と数値で提示していきます。ただし、その解決策については輪郭線が曖昧なままで投げ出されており、明確ではありません。もっと大胆な提案があるかと思って読み出したので、肩透かしです。さらには、刊行後に新型コロナウイルスの一大事変が勃発したため、観光という問題は今ではさらに見直しが必要です。そのような時代の変わり目に出た書籍という位置づけをよく知った上で読む必要があります。

 第一章の最後で、次のように前提を明言しています。

 市民の苦情からオーバーツーリズムが深刻化するまでの時間を考えると、京都はまさに今、このタイムラグの真っただなかにある可能性が高い。京都市をヴェネチアやバルセロナのようにしてはならないという危機感を前提に、本書を書き進めていきたい。(30頁)


 この前提には無理があるようです。ヴェネチアやバルセロナの例は、本書では対比の対象としては大きく外れています。しかたがないので、私なりの視点で読み進めました。

 第2章の民泊については、次のように2箇所で説明があります。

民泊ができた地域は住宅地が多く、しかも戸建て型民泊だったことも被害が深刻化した要因だといえる。東京などでは商業地域のマンション型民泊が多いため、外国人旅行客の出入りが多少増えても比較的トラブルになりにくいが、京都の場合は閑静な住宅地に民泊が登場したため、目立つ上にトラブルになりやすかったのだ。(39頁)


 不動産市場の混乱などは招いたものの、徹底して住民サイドに立った京都市の積極的な民泊排除の姿勢は、住民の日常生活を取り戻す上では大きな役割を果たした。民泊対策は、京都市のオーバーツーリズム対策として唯一合格点が出せる施策だと言ってもいいだろう。しかし、近隣トラブルや不安を抱える市民がいなくなったわけではない。(49頁)


 それでは今後どうすればいいのかについては、特に提言はありません。そうなんですか、で終わる指摘に留まり、市の政策任せで放置されたまま、話は前へとは進みません。もったいないと思いました。
 問題は、この次に想定される事態とその対処について、著者はどのように考え、どうすべきだと言うのか、それを語ってもらいたいと思いました。住宅地の民泊や近隣トラブルの問題について、もっと住民の生活実態に踏み込んでの検討と、そこから導き出される観光及び観光客の実状を踏まえたその意義と定義は、ぜひとも聞きたいところです。さらには、現職の市会議員ということなので、もっと自分の足で稼いだ情報を提起してほしいと思いました。机上の空論はすぐに飽きます。
 また、次の観光客数の限界値に関する問題は、本書の中で都合の良いように示されているように思えます。

 私は、現在の京都市が市民と共存しながら受け入れられる観光客数は5000万人が限界だと感じている。というより、これ以上増えると観光客、市民ともに不満が増大し、両者にとっていいことがない。大がかりなインフラ整備、混雑緩和対策、さらに積極的に観光客と市民の融和策をとり、再び京都市民の口から「観光客の皆様、ぜひ京都へお越しください」という言葉が出るようになるまで、現状を維持しながら行政がうまくコントロールする必要がある。
 京都市の観光客数は他都市がうらやむほどに順調に右肩上がりで伸び続けてきたが、ここでいったん踊り場をつくって整理し、受け入れ整備が進めば、再びそれ以上の人数受け入れを目指すシナリオがあってもよい。そのためのコントロールに最も効果的なのが、宿泊施設の適正な確保である。(78頁)


 行政任せで逃げるのではなく、人数と質の問題に切り込まないことには、解決には至らないでしょう。さらには、現在進行中の新型コロナウイルスの問題は、本書刊行時には想定できなかったとしても、これについても対処できるような理論武装をした意見が必要だったのではないでしょうか。今や観光客が皆無となった状況を踏まえた検討を、次の機会を得て、引き続き提示してもらいたいと思います。
 観光客数と宿泊施設が抱える問題が、新型コロナウイルスの前には別視点での議論が必要になった、ということが、本書の刊行後に顕現したのです。こうしたことに対応できる視点で本書が論じられていないことは、予測不能の問題だとはいえ残念でした。本書は、京都の観光が満ち足りた、幸せな時代の産物に留まるものなのです。これは、理論武装の甘さと、論理展開が上滑りしていることから見えてきたことです。
 地下空間を使った交通網の提案は、地下の自動運転シャトルというユニークなものです(95頁)。これは、次世代の人に任せたくなります。
 次の中国からの観光客の問題点の指摘も、興味深くて印象的な話題でした。

 中国人旅行者は世界中どこへ旅しても、食べ慣れた中華料理を食べたがる傾向が強く、中国人旅行者向けの中華料理店が京都市内に点在する。こうした中華料理店をめがけて観光バスが大挙してやってくる現象はあちこちで起きており、一昨年も住宅街の中華料理店にまで観光バスが連日やってきて、中華料理店に対する抗議運動が起こったほどだ。結局その中華料理店は廃業に追いやられてしまった。
 近年京都を訪れる観光バスは、こうした中華料理店と有名観光地界隈に数多く出没するのだが、一番大きな問題は、乗客待ちのバスの行き場だ。観光バスは中華料理店や観光地に乗客を降ろした後、乗客の食事などが終わるまで1~2時間待機し、再び彼らを乗車させて次の目的地へ向かうのだが、この待機時間の行き場がないケースが多い。(100頁)


 これは、まさに観光とは何かという問題に真っ正面から切り込む話題です。しかし、これもキレの悪いネタの提示に終わり、出された結論は陳腐です。
 その点では、「ゼロドル観光」の話は有益なネタとなっています。本書で一番意味を持つ文章だと思うので、少し長くなるのを厭わずに引きます。

観光行政の現場で「観光客数の伸びと税収の伸びはまったく比例しない」というのは常識である。税収どころか地元に金が落ちているかどうかもかなり怪しい。
 その代表格が中国資本の「ゼロドル観光」だ。無料または超安価なパッケージツアーを組み、決められた土産物店がツアールートに組み込まれ、土産物店にお金を落とさせ、そこからのコミッションで成り立つパック旅行である。
 我々日本人が利用する海外の格安パッケージツアーにでも同じようなものがあるのはご存じだろう。ツアーには宝石店やシルクショップ、土産物屋などが組み込まれ、やたら流暢な日本語で接客されてさまざまな商品を勧められ、長時間足止めされるケースだ。
 これは、海外ではごく一般的なツアースタイルだ。日本のツアーの場合、現地法人のツアー会社にそれらを委託するケースが多く、契約店舗からのキックバックがあるのは同様でも、通常以上に高額な価格で販売することを禁止しているケースが多い。しかし中国からの日本旅行では中国人人脈がフルに使われ、明らかに高額に販売する手法をとっているので、その分タチが悪い。商品が高額だということは、旅行代理店へのキックバックも大きいということだ。観光客はツアーに組み込まれた店だけで買い物をさせられ、代理店はそれ以外での買い物の時間を買い物客にほとんど与えない。つまりお金は代理店と特定の店だけにしか落ちないのだ。
 横行する中国旅行会社によるゼロドル観光には各国も頭を悩ませており、タイ政府やベトナム政府はゼロドル観光に関連する土産物店やツアー会社を厳しく規制している。
 2018年7月にタイ・プーケット沖で観光船の転覆事故が起き、10人以上が犠牲になったが、プラウィット副首相は「転覆事故は暴風雨の警告を無視して出港した零元団(ゼロドルツアーを主催した中国の旅行会社)の自己責任。ツアー会社も船会社も中国系でタイの観光業界とは何ら関係ない」と厳しく批判し、大きなニュースになったが、背景にはゼロドルツアーの悪質さが問題視されていたことが大きい。当の中国政府ですら、香港とマカオでゼロドルツアーを禁止した。
 中国人が運営するウェブサイトで客を集め、中国資本のホテル、中国人による白タク送迎、案内する店は中国資本が経営する土産物店や飲食店、決済はすべてウィーチャットペイなどの電子決済を使いスマホ上ですべてが行われる。彼らは寺社でお賽銭も入れず、まったくお金が地元に還元されないという。
 ほかにも、地元にお金が落ちない理由はいくつもある。
「爆買い」ブームが日本を席巻した時期があった。京都も同様だが、彼らが爆買いしたのは地元産品ではなく電化製品や日用品で、繁盛していたのはマツモトキヨシやココカラファインといったドラッグストアやビックカメラ、ヤマダ電機といった大手家電量販店、高島屋、大丸といった大手百貨店だ。販売側もほとんどが東京資本、売ってる商品ももちろん京都のものではない。中国人が大量に購入した100均のダイソー商品などほとんどが中国製だ。こうして考えると観光消費額のうちどれぐらいが地元に還元されているかはかなり不明だ。大量に供給されたホテルも同様で、大半は東京資本や海外資本で、京都で稼いで東京や自国へその利益を持って帰るという仕組みだ。
 土産物は例外だろうと思われる方も多いと思うが、これまた地元かどうか怪しい。地域活性化のスペシャリスト・藻谷浩介氏は京都についてこう嘆いていた。
「観光客にいくら土産物が売れても、そのお金は京都から出ていくんだからどうしようもないですよ。そもそも、京都の土産物の原材料のどれほどが京都産でしょうか。京都の材料を使って、京都で人件費を使って生産されて、それが売れて初めて街は潤います。それなのに丹波大納言を使わず、特選十勝産小豆使用などと謳って京菓子を売っている。これでは地域が潤うはずはありません」
 実に本質を突いていると思う。(220〜223頁)


 この一文は、これからの日本の観光を考える上で、いろいろな問題を提起する事例の報告となっています。本書の中で一番光る箇所です。
 さらには、次の文章も、観光に関する問題点の指摘となっています。

 門川市長は『日経ビジネス』(2016年5月9日号)の編集長インタビューで「京都では観光がとても活況なのに市の税収はまったく伸びていません。その理由は宿泊施設や飲食店といった観光業で働く人の75%が非正規雇用であることと無関係ではないと考えています。製造業は非正規雇用比率が30%です。観光業の非正規雇用の比率がこのままだと、持続可能な産業ではなくなる気がします。観光は京都にとって基幹産業でもありますから何とかしなければならない」と述べている。
 この発言は半分事実だが、半分間違っている。なぜなら観光産業とは、そもそも非正
規を多く生み出す産業構造だからだ。(224頁)


 もっとも、これは本書の「京都が観光で滅びる日 日本を襲うオーバーツーリズムの脅威」というテーマから遠ざかり、自治体が抱える政治的な問題へとすり替えていく結節点に置かれています。本書の構成は、よくありません。
 本書の後半は、著者の政治活動に直結する話題に転換してねじ曲がっていきます。京町家の話は、この本では不要だと思います。自分の政策論議と本書のテーマは、はっきりと切り分けるべきです。このことは、京都市立芸術大学の京都駅前移転の問題や、自治体の財政の話にも言えます。京都の観光というテーマが、自分の政策を述べる場へとすり替えられています。
 文化庁の京都移転の問題は、私には非常に興味のある話題です。次の文章には、いろいろな問題が含まれているようです。

 文化庁の京都全面移転は難しいと見るべきで、安倍内閣辞職後は再び関西分室へ格下げされる可能性もある。文化庁に対する過度な期待は禁物と考えるべきだ。
 しかし、文化庁移転に欣喜雀躍する京都市は、2016年(平成28年)、移転地については地元が提供、建設費用も地元が応分を負担、職員住居も協力すると申し出ている。さらに翌2017年度(平成29年度)には移転関連経費、出向職員5人の人件費、文化庁準備室の事務所や文化庁職員の住居まで提供するなど合計1億4800万円の支出を行っている。これが毎年しばらく続くことに加え、建設費がのしかかる。文化庁の京都移転は、私も賛成なのだが、なぜ国の官庁の必要経費まで、財政難で悲鳴を上げていいる自治体が負担しなければならないのか。(275頁、「いいる」は原文通り)


 鋭い指摘となっているようです。ただし、見開き2頁では中途半端だし、今ここでは場違いな話題です。
 これらは、書名で読者を誤った方向に誘導する、詐欺まがいの本になっていると言わざるを得ません。最後に京都党の基幹政策を展開するに至っては、何をか言わんや、です。あらためて書名が『京都が観光で滅びる日 日本を襲うオーバーツーリズムの脅威』となっていることを確認してしまいました。
 その意味では、第8、9、10、11章の111頁分は蛇足です。
 読み終えて、大きな落胆を感じました。滑り出しは良かったのに、次第にネタ切れとなり、切れ味もさらに悪くなりました。中盤からは、覇気がまったく感じられません。もっと材料を集め、斬新な視点で整理したシャープな提言をしてほしいものです。【1】
 
 
 
posted by genjiito at 23:55| Comment(0) | ■読書雑記
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