2020年05月10日

谷崎全集読過(37)『卍』

 この物語の中核をなす園子と光子の往復書簡のことを紹介するにあたり、文中には「作者註」があります。そこには、封筒の大きさや細かなデザインの説明が記されています。谷崎は、艶やかな趣味の世界を読者に体感できるように表現しようとしているのです。王朝文学の懸想文のイメージの再現です。また、谷崎が考えていた東京と大阪の女についても、わかりやすく説いています。まず、長くなることを厭わず、その箇所を引いておきます。

(作者註、柿內未亡人がほんの一部分だと云つたところのそれらの文殼は、約八寸立方ほどの縮緬の帛紗包みにハチ切れるくらゐになつてゐて、帛紗の端が辛うじて四つに結ばれてゐた。その小さい堅い結び目を解くのに彼女の指頭は紅を潮し、そこを抓つてゐるやうに見えた。やがて中から取り出された手紙の數々は、まるで千代紙のあらゆる種類がこぼれ出たかのやうであつた。なぜならそれらは悉くなまめかしい極彩色の模様のある、木版刷りの封筒に入れられてゐるのである。封筒の型は四つ折りにした婦人用のレターペーパーがやつと這入る程に小さく、その表面に四度刷り若しくは五度刷りの竹久夢二風の美人畫、月見草、すゞらん、チューリップなどの模様が置かれてある。作者はこれを見て少からず驚かされた。蓋しかう云ふケバケバしい封筒の趣味は決して東京の女にはない。たとひそれが戀文であっても、東京の女はもつとさつぱりしたのを使ふ。彼女たちにこんなのを見せたら、なんてイヤ味ツたらしいんだらうと、一言の下に軽蔑されること請け合ひである。男も彼の戀人からかう云ふ封筒の文を貰つたら、彼が東京人である限り、一朝にしてあいそを盡かしてしまふであらう。とにかくその毒々しいあくどい趣味は、さすがに大阪の女である。さうしてそれが相愛し合ふ女同士の間に交されたものであるのを思ふ時、尚更あくどさが感ぜられる。とくにその手紙のうちから此の物語の真相を知るのに參考になるものだけを引用するが、ついでにそれらの模樣に就いても、一つ/\紹介するであらう。思ふにそれらの意匠の方が時としては手紙の內容よりも、二人の戀の背景として一層の價値があるからである。−)
(五月六日、柿內夫人園子より光子へ。封筒の寸法は縱四寸、横二寸三分、鴇色地に櫻ン坊とハート型の模様がある。櫻ン坊はすべてゞ五顆、Kい莖に眞紅な實が附いてゐるもの。ハート型は十箇で、二箇づゝ重なつてある。上の方のは薄紫、下の方のは金色。封筒の天地にも金色のギザギザで輪郭が取つてある。レターペーパーは一面に極くうすい高ナ蔦の葉が刷ってある上に銀の點線で罫が引いてある。夫人の筆跡はペン字であるが、字の略しかたにゴマカシがないのを見れば、相當に習字の稽古を積んだものに違ひなく、女學校では能筆の方だつたであらう。小野鵞堂の書風を更に骨無しにしたやうな、よく云へば流麗、わるく云へばぬらりくらりした字體で、それが又不思議なくらゐ封筒の繪とぴつたり合つてゐる)(30頁下〜31頁下)


 物語の中では英語やフランス語も混じっています。手紙が知的な交流であることを示すためでしょう。
 そんな中での、園子と光子の濃密な関係は、園子の身勝手な行動と論理で語られます。現代の若者は、これをどう読むのでしょうか。知りたいところです。
 光子が苦しんでのたうちまわるくだり(「その14」谷崎全集73頁)は、真に迫った描写がなされます。ただし、これは光子の狂言で、次第にお互いがこの芝居を楽しむという、谷崎らしい展開となっています。
 光子を美しさの対象として崇拝するという考え方が次第に明らかになっていきます。園子と綿貫は、次第に光子の策略にはまり、虜になってしまったという構図です。そして、綿貫は園子との姉弟の約束を固いものにするために、証文としての誓約書を2通作るのです。しかも、血判付きのものです。その内容と行為には、人間の愛情と関係を言葉で制御する、谷崎流の考え方が見えます。後に、谷崎が実際に実行することです。
 やがて、自殺未遂をきっかけに、園子と夫を光子は支配します。疑心暗鬼や嫉妬の心をうまく利用して、睡眠薬を毎晩使って2人を思い通りに操るのです。自分を太陽のように崇拝させることで満足感を得るのです。いかにも作り話であっても、人の心理を突いた展開です。物語としてはうまいと思いました。谷崎がストーリーティラーと言われるゆえんです。
 そして、〈物語〉を閉じる流れが実に巧みです。語り手である園子が、話題をスーッと読者に預けてきます。谷崎の面目躍如というところです。
 なお、最終節の一つ手前の「その三十二」で、「たつた一人貧乏鬮抽いたのん●●●●で」(158頁)とあります。この作品を読まれる方のために、ここではそのことばは「●●●●」として伏せておきます。さらに「此の●●●●から後で意趣返しされるやなんて、夢にも思ひ寄りませなんでん。」と語ります。この作品の終わり方を思うと、〈物語〉の最終段階でこのように言ってしまうと、これから先の展開が読者には見えてしまいます。なぜ、谷崎はこのように、今後の展開をわざわざここで漏らしたのでしょうか。私は、このくだりはない方が良かったと思います。谷崎によくある、終わりを急いだ、ということなのでしょうか。作者自身が集中力を切らしたのではないか、と私は思っています。谷崎の小説作法を考える上で、参考になると思われるところです。【4】
 
 
■初出誌:『改造』昭和三年三月号−四年四月号、六月号−十月号、十二月号−五年一月号、4月号
 
 
 今回読んだ『谷崎潤一郎全集 第十七巻』の解説で、伊藤整は次のように言っています。谷崎と関西と古典のつながりを考える上で参考になるため、長文ながら関係する箇所を引きます。

「卍」が雑誌「改造」に書きはじめられたのは、昭和三年三月、作者が數へ年四十三歳のときである。作者が關西に定住して「痴人の愛」を書いた大正十三年から數へて五年目にあたる。この昭和三年は、昭和文學全體から見ても劃期的な時期に當る。實質上、新しい文學の世代としての昭和文學はこの年にはじまつた、と言つていいのである。(270頁)
(中略)
「卍」は阪神地方の知識階級の女性の日常語で書かれた小說として、特にその文體が問題になつた。しかし、雑誌に掲載された第一回は標準語に近い文體であつたが、第二回以後大阪言葉に改められ、單行本になるとき全體が大阪言葉で統一されたのである。關西の言葉には、一般の文章語なる口語體にない柔軟さと、微妙な陰翳の把握力とがあつて、特に女性の心理描寫に適切である。それをこの作者が、十分にこの作品に生かしてゐることが、當時、新しい文體の創出に苦心してゐた後輩の作家たち、特に新感覺派、新興藝術派系の作家たちや、その系統のものに親しんでゐた讀者の關心を強く引いた。この作品は、昭和三年三月から連載され出して、終つたのが昭和五年四月である。作者は初めこの作品の第一稿を普通の口語文體で書き、それを關西の女性の手で飜譯させ、さらに手を入れて完成したのだといふ。(272頁)
(中略)
「卍」は作者の關西移住後の作風轉換の第一期を劃するすぐれた作品であるが、その題材から言つて現代小說であり、「蓼喰ふ蟲」とともに、それ以後の古典時代の作品と區別されてゐる。前に私は「卍」は作者におけるモダニズムの終りに當ると書いた。しかし、「蓼喰ふ蟲」がその題材において、特に後牛の部分で、關西情緒への作者の深い關心を示してあるやうに、「卍」もまたその現實把握の方法、その表現の方法において、標準語的表現によるリアリズムから脱し、關西語を通して、古典的な表現の領域へ入らうとする試みの一つと見ることもできる。古き日本の傳統的說話方法によって、古典的寫實手法の成立する第一歩がそこに築かれてゐるからである。作者の古典時代は、先づ關西の傳統藝術への關心、關西の傳統的な表現法についての省察等によって準備され、そこから遡って、「亂菊物語」(昭和五年)の華麗な過去の物語の展開を行った後に、沈潜的な古典物語の様式に入つて行つたのである。關西語系の表現の中に古典への道を發見した點において、「卍」は特殊の意義を持つ作品である。(274頁)

 
 
 
posted by genjiito at 18:36| Comment(0) | □谷崎読過
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