2020年04月27日

個人が所有する本のこれからを考えてみる

 新型コロナウイルスの感染予防のために、自宅待機の日々です。その中で、今後のウイルス対策の長期戦に備えたテレワークの環境を構築するため、このところ勉強部屋の大改造をしています。おそらく、これが我が生涯最後の模様替えだと思って、心おきなく一大整理をしています。
 そして、お決まりのように大量の本を処分することと、雑多なメモやコピーの廃棄に追われています。
 3年前に、都内と立川市にあった荷物を、京都と大阪に分散して運びました。その時も、本の処分が一番大変でした。一冊一冊に思い入れがあり、しかも、いつかまたこの本を読み返すことがあるのではないかと思うと、捨てる手が鈍りました。しかし、とにかく、エイ・ヤーと思い切らないと前に進みません。
 自宅に送ったものについては、いまだにすべての段ボールを開封していないので、あれはどこにあったのかと探すことが日常茶飯事です。
 また、昨年の3月に、大阪の南部から北部に、大量の本と資料を移動させました。これは、目的が明らかな本たちだったことと、箕面の新しい研究室が広かったので、整理は終わっていないものの段ボール箱からはすべて出し終えています。3分の1は床に積んであるので、取り出そうと思えば何とかなります。
 もっとも、これらも後1年で箕面キャンパスは移転のために撤退となり、私の科研も終了します。今から10ヶ月後には、その行き場の決断が迫られます。京都市内にNPO法人〈源氏物語電子資料館〉の事務所を構えることで、その一端を軽減させられないかと思うものの、小さな組織なので場所も物件も見つかっていません。今は、篤志の方との出会いを待ち望んでいるところです。
 とにかく、相変わらず、物としての本には悩まされ続けています。
 今回の自宅の大掃除でも、自宅に置く本とは一体何なのかということや、これからの本のありようを考えさせられています。図書館の本を利用することを前提にしても、新型コロナウイルス禍の今は、近くの図書館はすべて休館です。特に、自宅に近い京都府立京都学・歴彩館が休館となっているのは、私にとっては一番痛いことです。
 最近私は、本を出版することはやめています。報告書などの印刷物は、〈非売品〉として無償で配布したり、ネットに〈電子ジャーナル〉として公開することを意識して実践しています。書籍としての本の存在を否定するのではありません。その意義は認めつつも、重さと容量のある固形物をどのように管理するかで、個人的には限界を感じているのです。また、出版社や書店の存在は認めつつも、はたしてその業態がいつまで続くのか、大いに疑問を抱くようになりました。よくわからないままに、今とは別の社会を考えたりしています。少なくとも、出版社が本を作って売り、書店で本を購入して読む、というスタイルは、私の中からは消え去りつつあります。徐々にではあるものの、本というものの存在が消えていくように思えます。
 それでは、読書はどうするか。私は電子ブックは読まないので、自縄自縛の中にいます。また、研究成果や資料集はどうするのか。これは、電子版の公開でいいように思います。今私は、その方向で取り組んでいるところです。
 それにしても、これまで普通に身の回りにあった本が、自分の中で変質しつつあるのは確かです。知的な資源をどのような形にすれば、人々が自由に受容できる社会が構築できるのか、そんなことを考え込んでいます。さまざまな権利が関わるだけに、答えは一つではないはずです。これからの若者たちが、一大変革をしてくれることに期待しています。
 
 
 
posted by genjiito at 20:24| Comment(0) | ■読書雑記
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