2020年03月10日

新型ウイルスと濃茶と寿司とおにぎりと

 今月の『淡交タイムス』(2020.3、第548号)には、次の文章を印刷した1枚のお知らせが入っていました。引用文中の赤字は、私が施したものです。

新型コロナウイルス感染症への対応について



皆様方にも大変ご心配のことと存じます。
この春は宗家の懸釜もたくさん予定されております。
亭主として、私は次のように対処してまいります。
濃茶席は道具はそのまま荘りつけ、回し飲みを避けるために呈茶は薄茶で賄うつもりです。
参考にしていただければ、と存じます。
千宗室


 それでなくとも、濃茶については嫌う方がいらっしゃいます。一つの茶碗を手送りで回し飲みするので、避けたい気持ちはわかります。このことについては、特に清潔好きな現代の若者は、気持ち悪く思っていることは認めなければいけません。今回のウイルス騒動を機に、茶道の関係者は茶道の中でも濃茶の扱いについて、見直しを迫られることでしょう。若者のみならず、海外に広まっている茶道のイメージの再点検となるはずです。薄茶は、一人ずつに点てて出すので、一つの茶碗に口を付けてみんなで一緒に飲み合う、というイメージはありません。

 また、本日(2020年3月10日)の京都新聞(夕刊)では、酒井順子氏が「鮨の運命」という一文を「現代のことば」に寄せておられます。「誰かわからない人の手が触れた食べ物は怖くて食べられない」という例として、「おにぎり」と「お鮨」が話題になっています。そして、次のように結んでおられます。

 特に今、日本では新型コロナウイルスの騒動が長引き、手を清潔に保つようにと、我々は日々、言われています。この騒動によって、日本人の「他人が触れたものは食べられない」という感覚は、さらに強まることでしょう。その時に、日本の文化である鮨の運命や、いかに…?
 子供の頃は、友達のお母さんが握ったおむすびも、落ちた食べ物も、平気で食べていた私。大人になってこのようなことを考える時が来るとは、全く想像していませんでした。かつては美味しくて安全な食べ物を連想させた「手作り」「手料理」といった言葉が、これからは反対の意味になってしまうのかもしれないと思うと、事態が一刻も早く収束することを、祈らずにはいられません。


 この指摘も頷けます。「おむすび」や「にぎり寿司」は、これから変化する食生活の一つといえるでしょう。
 ただし、酒井氏は「お鮨」イコール「にぎり寿司」とお考えのようです。しかし、私は「にぎり寿司」よりも「押し鮓」(大阪鮓、箱鮓)が好きです。柿の葉寿司は駅の売店でも気軽に手に入るので、身近な小腹を満たす食べ物です。この「押し鮓」は、手で握るのではなくて、木型に押し付けて作ります。見ていても、素手でにぎるのとは違うので、「にぎり寿司」のような不潔なバッチイ(?)印象はありません。
 なお、京都では「鯖の棒寿司」が有名です。妻の生地である秋田では「ハタハタ寿司」が名物です。ただし、近江の「鮒寿司」はいまだに苦手です。いずれも「なれ寿司」と言われているものですね。
 とにかく、今回の新型コロナウイルスによって、食べ物の提供のしかたやいただき方が見直されることでしょう。食文化が変わろうとしているのです。その変化を、いましばらく、よく見ていきたいと思います。
 
 
 
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | *美味礼賛
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。