2020年01月13日

読書雑記(278)読書において読者側の知識と体験は有用か?

 先週(1月7日)の読書雑記で、船戸与一の『河畔に標なく』をアップしました。そこには書かなかったことで、登場人物の一人が中国の広州出身であることがあります。ちょうど現地に行った後に読み終えたので、その人物が育った背景に想いが至りました。
 読書において本筋とは関係はないことながら、自分が知っていることや体験に接点があると、物語が身近に感じられます。ミャンマーのイラワジ川の周辺での展開となると、その川を渡ったことがあるので、これまた物語の内容に感情移入します。読者として、具体的な現地でのイメージが現実のことに絡めて膨らみます。作り話を読まされているという感覚から抜け出た、物語の展開にのめり込めます。
 昨年末は、ネットで配信されている〈ぶんごうメール〉で、エドガー・アラン・ポーの『黒猫』を読みました。その中で、眼をくり抜くことや、片目の黒猫が出てきました。ここ数年は、目が見えない方とのお付き合いが広がっているので、ついつい、こうした設定や描写に敏感に反応します。以前であったら、読み流していたことです。
 同じく〈ぶんごうメール〉で、この新年からは梶井基次郎の『檸檬』(1925年、大正14年)が始まりました。丸善の本屋さんにレモンを置いて立ち去る話がよく知られています。二条寺町にあった果物屋さん「八百卯」(明治時代創業)は、2009年(平成21年)1月25日に閉店しました。『檸檬』に出てくる丸善は、三条麩屋町西入ルにあった2代目のお店です。河原町通蛸薬師上ルにあった3代目の店舗も、2005年(平成17年)10月に閉店しました。そして、2015年(平成27年)8月20日には、河原町通りにできた京都BALバルの中に移転して丸善は再生し、今は大盛況の本屋さんの一つです。奇しくも、四条通りに30年間親しまれたジュンク堂京都店が、来月末で閉店します。もっとも、ジュンク堂は丸善の系列なので、ポイントカードは共通ということで利用者の一部が寂しがること以外には特に不利益はありません。
 地下鉄烏丸線北大路駅前にあった大垣書店の本店は、昨年末に店を畳みました。駅の上の大型ショッピングセンターにお店を開いていることと、烏丸四条と三条を初めとする京都各地で店舗を展開しているので、縮小ではなくて本店機能の移転のようです。
 書籍や雑誌の販売額は1996年がピークで、今はその半分以下だそうです。出版不況はずっと続いています。現在の本屋さんの事情に興味と関心を持っており、頭から離れないので、この『檸檬』を読みながらもさまざまな味を楽しんでいます。
 京都に住むようになり、寺町にお茶や文具を買いに行くたびに、この旧地を通ります。10年前に閉店したばかりの「八百卯」さんをたまたま写真に収めていたので紹介します。

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 『檸檬』の舞台が身近になるにしたがい、この作品の自分なりの読み方が変わってきました。おもしろいものです。
 一昨日は、本ブログに藤田宜永の『ボディ・ピアスの少女』を取り上げました。この舞台は、数年前まで私の東京生活の宿舎があった、門前仲町の周辺です。日々生活していた場所が出てくるので、懐かしみながら登場人物と一緒に江東区めぐりを楽しみました。
 読者の知識や体験は、読書の理解や興味や関心に大きな影響を受けるようなので、その楽しみは年を経るにしたがって多彩になっていくようです。若い時に読んだ本が、時と共にその感想はもとより理解や評価が変わってくるのですから、読書は一生繰り返し楽しめる高度な知的遊びです。さらには、若気の至りで興味がなかった本も、今読んでみると意外と楽しめるものも多いのです。この、本との出会いの楽しみを、これからも大事にしていきたいものです。
 私が18歳の時から、何度も何度も読んでいる小説は、井上靖の『星と祭』です。読むたびに、自分の興味と関心が移り変わっていくことを実感します。もう一冊は、松本清張の『砂の器』です。こうした本を上げ出したらキリがありません。吉村昭の『光る壁画』も欠かせません。
 こんな本を何冊も持っていることが、私の精神的な支えとなっているようです。こうした本は、私の宝物の一つだと言えるでしょう。
 
 
 
posted by genjiito at 21:11| Comment(0) | ■読書雑記
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