2019年12月30日

形ある物としての本を処分すること

 今年も、本に悩まされました。
 本年3月に、突然とでも言うべき理不尽な理由によって、研究室を出ることになりました。
 3年前の3月に、東京立川の職場と江東区の官舎から、京都と大阪に大量の荷物を移動させました。もちろん、大半が本の詰まった段ボール箱です。
 大阪南部の研究室に移動して来た専門的な内容の本は、しばらくは安泰だと思っていた矢先のことでした。今度は、大阪北部に移動させることになったのです。150個の段ボールに詰めた本は、その分量はともかく重さが半端ではありません。
 幸い、新しい移動先の研究室は90平米もある広さなので、置くスペースは十分です。

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 いまだに新研究室に運び込んだ本の整理が終わっていないのですから、これにかけるエネルギーと時間は膨大なものが費やされています。いやいや、自宅においても、すでに東京を引き上げて来て3年が経とうとしているのに、いまだに未開封の段ボールが、押し入れに投げ込まれています。必要になった本を手にしたい時に、段ボールの側面に書かれたメモを頼りに、やおらガムテープを剥がして本を取り出しています。
 それにしても思います。なぜこんなに本を持って移動し続けなければならないのか? と。
 資料集や参考書であれば、折々に見て確認することがあるので、身近な場所に置いておく必要があります。しかし、研究書や雑誌論文を収めた本や冊子に加えて読み物としての本は、必要な時に手にできればいいのです。そのために、京都府立京都学・歴彩館の近くに終の住み処を定めたはずです。しかし、やはり手元に本を置いておきたいために、多くの本を処分する勇気がなかなか出ません。
 一度読んだ本は、自宅に置いておく必要はなくて、図書館や資料館に寄贈すればいいと思いました。しかし、実際には引き受けてもらえない現実があります。よほど貴重な本でない限りは、図書館などでも重複してしまうのです。
 また、本を購入した際には、読み終わったら購入したその書店で引き取ってもらえるといいとも思いました。しかし、これも手放す方はそれで開放されるとしても、書店としては引き取ってからの処置がややこしいようです。本には、定価というものが付いているので、いろいろと問題も多いようです。勢い、ブックオフなどの存在意義がでてきます。しかし、私はブックオフに本を引き取ってもらったことがありません。本がかわいそうに思えるからです。突然、自分の心の中に、本に対する愛着が芽生えるのです。それを書いた人、刊行した出版社の方々の顔が浮かぶのです。
 読み終わったら持て余すことの多い、物としての本は、どうあるべきなのでしょうか。
 電子ブックという新しい流れがあります。しかし、私は光の点が構成する文字というキャラクタの連続に目を走らせると、すぐに目頭が痛くなります。新しい技術であり文化なので、まだ慣れないからでしょうか。特に少し専門的な内容の本は、電子ブックになっているものは少ないし、あっても考えながら読むには適さないように思います。紙に印字された文章を読む方が、私には安定して、書かれている内容が理解できます。この安心感は得難いものです。
 小説にしても、紙の質や本の重さも、読書の楽しみの一つとなっています。読み進むにしたがって、その前と後ろの厚さが移動していきます。長編小説を読むことが大好きな私は、この自分の現在位置を示す本の厚さは、読み進む上では大切な情報です。これが、電子本では、質感も分量もページをめくる感触もないので、気が抜けてしまいます。だだッ広い野原に、文字を集めたデータを与えられたように思ってしまいます。宙ぶらりんの状態での読書は、手応えがありません。
 もちろん電子版は、キーワードで探しやすいし、何かに引用するときに重宝します。私の科研では、『日本古典文学翻訳事典1〈英語改訂編〉』『日本古典文学翻訳事典2〈平安外語編〉』『平安文学翻訳本集成〈2018〉』『海外平安文学研究ジャーナル』(既刊6巻)などの電子版をホームページから公開しています。海外の方々などは、本の入手が大変なので、こうした電子版はダウンロードすれば読めるので歓迎されています。その効用は理解しています。しかし、それは確認のための活用に向いているだけだと、私は思っています。
 なお、漫画本は、電子本でもいいのではないか、とも思います。これは、画像としての画面を楽しむことに起因するものだと理解しているからです。
 厚さがあり、重さがある物体としての本は、家の中の場所を取ることが一番の問題でしょう。木造の家に住んでいる私などは、本の重さは死活問題です。すでに家が傾いています。家の中の柱の位置は、私にとっては大切な情報です。そのためもあって、いかに手際よく本を処分するか、ということに悩まされ続けているのです。
 著者や出版社には申し訳ないことです。しかし、読者の立場も何かと大変です。購入するのはいいとして、読んだ後はそのほとんどを手元から遠ざけないことには、居住生活に影響します。
 これは、みなさんが直面している問題かと思います。
 本の流通と、その本の読後の取り扱いについては、これからも悩み続ける問題といえそうです。今、私にできることは、1冊でも多くの本を人に差し上げることと、心ならずもゴミとして処分することです。いずれは、食べ残しのゴミに近い性格の問題として、本の後始末が問題になるかもしれません。これは飛躍しすぎとしても、とにかく本をきれいに処分することは喫緊の課題なのです。海外では、図書館がこの問題に救いの手を差し伸べている実態を見てきました。しかし、日本ではまだまだ個人が本を購入して、個人で管理している現実があります。
 多くの関係者に、大変失礼なことを書いているかと思います。しかしながら、自分をごまかしながら現実には本をどんどん捨てている日常を思い、とりとめもない雑駁な考えで今の自分を振り返ってみました。
 先日も、何万円もする本を数冊、燃えるゴミと一緒に出しました。いろいろな方の顔が浮かぶ中を、私にとっては毎月の仕事と化しています。いつまでこんなことをするのか、させられるのか。本の後始末には、苦渋の決断が伴います。心おきなく本が処分できる環境を、あるいは処分ではなくて流通させる手だてを、一日も早く作りあげたいものです。
 歳末の今日も、たくさんの本を処分しました。本の供養塔を、家の裏にある狭い庭先に建立することを、真剣に考えています。その形は、枡形本と巻子本を組み合わせたものにしたい、とも思っています。
 
 
 
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | *身辺雑記
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