2019年12月14日

日比谷で源氏の橋本本を読む(17)[藤壺の場面の本文異同]

 夜明け前に家を出たので、賀茂川の下流はまだ眠っています。左の山が、大文字の如意ヶ岳です。日の出前から、散策路にはちらほらと人影が見えます。

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 地下鉄の駅前で、中天に穴が開いたかのような、まんまるいお月さまが白んでいました。気持ちのいい朝です。

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 新幹線はガラガラです。
 新橋駅の広場に置かれたSLには、サンタさんが赤い服をのぞかせています。

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 今日の日比谷図書文化館での古文書塾「てらこや」の源氏講座は、1日2講座になってから2回目です。午前中は、「異文を楽しむ講座」です。配布した資料は8枚。前回が体験講座を兼ねていたので、実質的には今日から始まります。
 少し世間話をしてから、受講生でいつも熱心に勉強なさっているYさんにバトンタッチしました。Yさんは、講座が終わってから有楽町での有志による課外講座で、橋本本「若紫」の現代語訳に果敢に取り組んでおられました。その自主講座がこの「異文を楽しむ講座」の開講へと発展したのです。そして、これまでみんなで話し合っていた話題の一つであった「おこり」ということばについて、調べた報告をしてくださいました。
 それは、「若紫」の冒頭部に出てくる、「あまたたび【おこり】たまひければ」と、そのすぐ後に「去年の夏も世に【おこり】て」とある2例の「おこり」に関するものです。
 辞書をもとにして、その意味の検討をして、結果としてこの2例は同じ意味内容であることから、病気が発症したり発生することである、とのことでした。他の受講生の方からの質問の中に、写本によっては「をこり」というものもあるので、この「お」と「を」の違いはあるのでしょうか、というものがありました。これは、私も調べていなかったので、今後の課題とさせていただきます。また、病名の「瘧」というものの命名の由来などの質問もありました。これも、また調べていただき、次回以降に報告していただくことになりました。
 社会人の講座なのに、大学のゼミのような雰囲気になってきたのは、いい傾向です。
 橋本本の本文は、これまでまったく読まれていなかった鎌倉時代の本文です。その本文の意味をこれから丹念にたどって理解していく上でも、こうした単語の意味を1つ1つ確認していくことは大事なことです。その意味からも、疑問に思うことがこうして活発に出てくるのは、自分たちがまだ読まれていない物語を明らかにしようという意欲の表われなので、歓迎すべき流れです。まだ、試行錯誤の取り組みなので、毎回こうして意見のやりとりをすることを基本として続けていきたいと思います。
 今、市中に出回っている古語辞典は、すべてが大島本の本文によって立項されています。しかし、大島本は独自な異文が多い上に、室町時代に書写された本文を江戸時代に校訂されたものです。そのような大島本『源氏物語』の本文で作られた辞典で、それよりも古い鎌倉時代に書写された橋本本を理解することには、釈然としないものがあります。用いる道具と物差しが、読もうとする本文には合わないと思っています。かと言って、言葉の意味を私を始めとしてここに集った素人がどうにかできるものでもありません。そのために、可能な限り言葉の意味を確認しつつ、まだ中身が読まれていない鎌倉時代に書写された橋本本を読む、という基本的な態度は守りたいと思います。面倒なことではあっても、今後とも、こうした姿勢で橋本本を読んでいくことになります。どのような取り組みがいいのかはわからないので、とにかく手探りの状態で進めるしかありません。
 続いて私からは、藤壺懐妊のくだり(小見出し番号【62】、052889「ふしつほの宮」〜)の本文異同を踏まえて、橋本本が語る物語を見ることにしました。
 まず、現在一般に読まれている大島本で作成された校訂本文本文を、『新編日本古典文学全集』(小学館)のものから引きます。

 藤壺の宮、なやみたまふことありて、まかでたまへり。上のおぼつかながり嘆ききこえたまふ御気色も、いといとほしう見たてまつりながら、かかるをりだにと心もあくがれまどひて、いづくにもいづくにもまうでたまはず、内裏にても里にても、昼はつれづれとながめ暮らして、暮るれば王命婦を責め歩きたまふ。いかがたばかりけむ、いとわりなくて見たてまつるほどさへ、現とはおぼえぬぞわびしきや。宮もあさましかりしを思し出づるだに、世ととももの御もの思ひなるを、さてだにやみなむと深う思したるに、いと心憂くて、いみじき御気色なるものから、なつかしうらうたげに、さりとてうちとけず心深う恥づかしげなる御もてなしなどのなほ人に似させたまはぬを、などかなのめなることだにうちまじりたまはざりけむと、つらうさへぞ思さるる。


 次に、私が作成した橋本本の校訂本文をあげます。【 】で括った語句が、大島本と異同を示すことばです。

 藤壺の宮、【このごろ】【わづらひ】たまふことありて、まかでたまへり。上のおぼつかながり【嘆かせたまふを】、【見たてまつりたまふも】【いとほしながら】、かかるをりだにと心もあくがれ【たまひて】、いづくにもいづくにもまうでたまはず、内裏にても里にても、昼はつれづれとながめ暮らし・、暮るれば王命婦を責め歩きたまふ。いかがたばかりけむ、いと【わりなきさまにて】【見たてまつりたまふ】。宮【は】あさましかりし【ことを】思し出づるだに、世ととももの御もの思ひなる【に】、さてだにやみなむと深う思し【ける】に、いと【心】憂くて、いみじき御気色なるものから、なつかしうらうたげに、さりとてうちとけ【ぬ】御もてなしなど【とりあつめ、なのめなる所なく】人に似させたまはぬを、【などて少しよろしき所だに】うちまじりたまはざりけむと、つらうさへ・【思ほす】。


 この2種類の本文を読み比べると、随所に違いが確認できます。赤で明示した本文を見比べるだけでも、橋本本は大島本とは明らかに違う本文を伝えていることがわかります。特に「現とはおぼえぬぞわびしきや。」という文を持たない橋本本の本文は、丁寧に読み解いてその違いを明らかにしておく必要があります。ここについては、『新編日本古典文学全集』の頭注には、「『わびし』は予想外の事態に処しかねる気持ち。源氏の心内に即した語り手の感想である。」(二三一頁)という頭注があります。

 ここでは、これ以上の詳しい解説は省略します。とにかく、この本文の違いについては、今後も折々に取り上げて、参会者のみなさんと一緒に討議の材料にしていきたいと思います。
 今日は、ここまでで時間がきました。残りの半分については、次回に扱います。
 大きく異なる2つの本文を、社会人が集まる講座で読み進むのは大変です。しかし、文章の違いを実感することはできます。
 上記の本文の違いについても、今日のところは大島本が光源氏と藤壺の心情に言葉を費やして語っているのに対して、橋本本はやや素っ気ないようにも思えます。
 まだ始まったばかりです。これから出てくるさまざまな例を通して、この2つの写本が語る物語の質の違いが浮かび上がればおもしろい、と思って進めていきます。少なくとも、2種類の『源氏物語』の本文が楽しめることは確かです。

 午後は、「翻字者育成講座」となります。これは、これまで続けてきた、橋本本に書写されている文字にこだわって、丹念に見ていく時間です。ここでは、語られている内容は問題にはしません。「翻字者育成講座」なので、あくまでも仮名文字に着目して音読し、変体仮名の字母を確認していくのです。
 今日は、48丁表の1行目から、49丁表8行目まで確認しました。この時間は、全盲のOさんが受講しているので、画数の多い文字は特に丁寧に説明するように心掛けています。それは、渡している立体コピーの精度が低くく、画数が多いと文字がきれいに浮き上がらず、ボテッとつぶれた形になっているからです。
 今日は特に、変体仮名の「て」に関する一覧資料を配布し、「く」のように見える「弖」の字形の確認をしました。いろいろなお話をしながら、2時間はあっという間に過ぎてゆきます。
 次回は、新年18日(土)です。
 今日も帰りに、有志の方々と有楽町に出かけました。過日、伊井春樹先生のご本『宝塚歌劇から東宝へ ―小林一三のアミューズメントセンター構想』を読んだこともあり、東京宝塚劇場の地下で、軽い食事をしながら楽しく語らいました。全盲のOさんも参加です。私は、いつものように赤ワインをいただきました。

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 この有楽町から銀座にかけては、木々を覆うように着けられた電飾が、行き来る若い人たちの顔を晴れやかに照らし出しています。渋谷や新宿とはまた違う、すこし上品な雰囲気が漂っていました。
 
 
 
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ■講座学習
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