2019年11月26日

清張全集復読(37)『火の路 下』の麻薬と贋作と学界批判

 上巻については、「清張全集復読(36)『火の路 上』」(2019年10月15日)に記しました。

 下巻は、ゾロアスター教の聖地であるイランを旅する高須通子の現地調査で始まります。

191124_hinomoti2.jpg

見知らぬ土地を歩くのは、私も大好きです。楽しく読み進めました。もちろん、ゾロアスター教に関する知識も蓄えることができました。
 沈黙の塔で、高須は大和平野から望む二上山の景色を思い浮かべます。さらには、飛鳥の地をも。
 たくさんの言語が例としてあがります。ペルシア語、アベスター語、サンスクリット語、などなど。そして、その背景には、異教という宗教儀礼と秘儀としての陶酔薬物の麻薬が横たわります。
 同時進行で、京都の骨董収集家の贋作問題や、人間関係の複雑な事情などが、歴史と文化と研究が綯い交ぜになって読者を引っ張っていきます。壮大な規模の物語です。
 イランを旅する通子は、イスファハンまでをみすぼらしい身なりの運転手のタクシーで移動します。その運転手の横には、病気の子供が乗っていました。この親子の設定に、私は清張が我が父と自分の姿を思い浮かべているように思えました。『砂の器』に出てくる親子が、二重写しのようになって見えたのです。これは、あくまでも私の勝手な想像ですが。
 益田岩船の南北の中心軸が、耳成山=藤原京に向いていることの意味を推理する過程は、読者を考古学へと導きます。これだけ石造遺物をめぐって、飛鳥、イラン、考古学、盗掘、学界の詳細な話に付き合うと、にわか推理マニアになった気分にさせられます。
 樋口清之先生の『古物偽造考』を引いて、偽物の古墳出土品を作る手法などが紹介されています。樋口先生の授業を受け、研究室に行ったことがあります。博物館の学芸員の資格取得の講座を受講した時に、楽しい話をたくさん伺いました。松本清張のと付き合いについても。この作品の背景には、樋口先生からのアドバイスもあることでしょう。
 後半で、イランから帰った高須が『史脈』に掲載されたとする研究論文が掲載されます。なかなかおもしろい内容です。最終部分で語られる、飛鳥の益田岩船と播磨石の宝殿が、本来は一対の、ペルシアの拝火神殿となるはずのものだったのではないか、という推論はおもしろいと思います。その未完成品が、組み合わされないままに今あるのだというのです。これに対して、清張は高須の論文「飛鳥文化のイラン的要素−とくに斉明期を中心とする古代史考察と石造遺物について」に関する学界の反応について、批判もなく無視されるだろうと言います(下294頁)。これまでも語られたように、清張特有の在野の視点からの感情を交えた評価が記されます。しかし、この高須論文はあまりにも推論に推論を重ねたものなので、研究者が書いたにしては学問的な証明がなされておらず、論文とは言えないと思います。これは、学者を描ききれなかった、清張の限界だったのかもしれません。自分でも、作中で海津信六のことばを借りて、次のように言います。

このような論考には、その実証範囲におのずから限界があるのはやむを得ないことと思います。しかし、これは将来古学的遺物や文献などが発見されぬかぎりは望み得ぬことで、要はその推論に説得性があるかないかによることと思います。
 日本古代史は、百花繚乱のおもむきがありますが、一部の何ら論証なき恣意な臆説、ナンセ
ンスな強弁は別として、大方の学者は「実証」に拠らずば十分にモノ言えぬ状態のようです。
「怯懦な」古代史学者は、ひたすら学界論敵の攻撃をおそれて自己防衛を先としています。だが、
その「実証」たるや青い鳥の如く求めて永遠に求め得ざる類のものであります。小生の感想では、このような「実証」とは実に愚直な「実証」のたぐいと考えざるを得ません。
 証拠品(考古学的遺物や文書等)の羅列によって不動の実証を得たとするいわゆる帰納学者の愚鈍では、資料乏しき古代学は遅々として進みません。そこに鋭敏にして犀利な演繹的方法の導入が必要です。もし、その方法に大きな誤りがなければ、漫然たる列品的証拠品(資料)は磁気に吸い寄せられるが如くにその演繹的理論の秩序下に入るのであります。これは数は少ないが、天才的な先学によってすでに立証されています。……(下386頁)
(中略)
所詮、仮説を立て得ないものは発想の貧困をものがたるだけです。仮説のあとから実証を求めればよいのです。ヘロドトスの『歴史』もはじめは大ほら吹きとして嘲罵の対象になりました。(下394頁)


 物語としては、途切れ途切れに寸景を挟んで接続されているので、堅苦しい論文が普通に読めます。これは、清張の工夫といえるでしょう。
 最後は、清張らしい叙情的な表現で語られます。風景の中に物語が閉じ込められていきます。
 読後に、やはり推測が多すぎると思いました。論文が主体となった後編からは、物語が雑になりました。これ以上は長くできなかったために、こうして足早に手紙などを小道具にして、推測で話をまとめることにしたのでしょう。
 それでも、スケールの大きな物語を堪能しました。【5】

【追記】
 本日、11月26日(火)京都新聞(朝刊)の一面に、次の見出しが躍っています。
  松本清張に京の「先生」
  手紙100通やりとり
  在野の古代史家・薮田嘉一郎
  「火の路」執筆で教え請う

 清張は、朝日新聞に「火の路(回路)」を連載しながら、いわゆる「通信講座」を在野の薮田に頼んでいたようです。
 おもしろい資料が期せずして現れたものです。酒船石、益田岩船、ゾロアスター教、などなど、清張の推理の根幹部分と、この作品ができあがる経緯が、これによって明らかになっていくことでしょう。
 
 
 
 
posted by genjiito at 19:34| Comment(0) | □清張復読
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。