2019年09月16日

敬老の日に敬愛について想う

 今日のお休みは何の祝日だったのかと思い、新聞を見て敬老の日であることを知りました。最近は、自分の中で祝日が定まらなくなりました。その年によってズレることがあるので、カレンダーが頼りです。

 父が生きていたら104歳、母が生きていたら99歳です。私はもうすぐ68歳になります。父は67歳5ヶ月で亡くなったので、私はすでに父が生きた時間を超えて今も生きていることになります。母は84歳8ヶ月でした。

 苦節という言葉がふさわしい父の67年半は、私とは比べ物にならないほどに密度の濃い人生だったようです。清貧の中で、母とともに他人の世話をしながら生き通しました。その人生は、最後の最後に、『ひとつぶのむぎ』という川柳句集に集大成としてまとめ、自分の手で献本を発送して亡くなりました。私の大きな仕事だったと、その責務を果たしたことを誇りに思っています。

190916_hitotsubu.jpg

 その父が、無念にも癌で閉ざされた思いを、私は1日も多く生きて、父のようにやり残したことが心残りにならないようにしたいと思っています。その意味では、自分が敬老の対象であるとは、まったく思っていません。

 加齢のために、かつてのように思うようにはやりたいことができていません。しかし、身も心も元気なので、生き続けさえすれば、やりたいことはいつか叶えられ、積み残した課題や成果物は、次の世代に引き渡すことで実現すると、その準備は整えています。とにかく、元気に明日を迎えられることを、今は心がけています。

 海外から帰ったばかりの息子が、昨夜は我が家に泊まって行きました。亡母にかわいがられたことが染みついているのか、口溶けの柔らかな和菓子をお供えしていました。3人の子供は、亡父のことはまったく知りません。しかし、亡母にはみんな優しかったお婆ちゃんとして、折々に思い出語りをしています。

 思い出すことが、一番の供養だといいます。敬ってもらおうなどと、私はまったく思っていません。敬老などという実態の見えない言葉に惑わされることなく、良きにつけ悪しきにつけ、思い出してもらうことが自分への励みだと思って、これからも後ろ姿を子供に見せながら生きていくことになります。

 突然におとずれた敬老の日に、父母に対する敬愛の想いをあらためて抱くことになりました。
 
 
 
posted by genjiito at 19:40| Comment(0) | *健康雑記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。