2019年08月19日

読書雑記(266)高田郁『あきない世傳 金と銀 七 碧流篇』

 『あきない世傳 金と銀 七 碧流篇』(高田郁、時代小説文庫、角川春樹事務所、2019年8月18日刊行)を読みました。初春と初秋の年2冊の刊行が守られています。

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 開巻早々、大坂と江戸での帯の巻き方の違いが語られています。

 湯屋で知ったことのひとつに、帯の巻き方が大坂と江戸では異なる、というのがあった。
 大坂では、帯の巻き始めを左に置いて、左から右へ向かって身体に巻きつける。だが、江戸では帯の端を右に置き、右から左へと向かって巻いていくのだ。
 何故、巻き方が大坂と江戸で逆になるのか、江戸には士分が多く暮らすことと関係があるのか、と考えてみたりもするのだが、今以て理由は定かではなかった。
「私たちは大坂の巻き方で慣れてしまっているけれど、もしかすると、利き手が右なら江戸の結び方の方が、力が入れ易いかも知れないわね」(12頁)


なかなかおもしろい指摘です。ただし、本巻ではこれに対する解答は見当たりませんでした。

「買うての幸い、売っての幸せ」をモットーに、大坂から江戸に進出して商いを展開しようとする幸は、相変わらず明るい明日を見据えて創意工夫を考え続けます。
 舞台は江戸時代だとはいえ、和装のファッションを取り上げ、女性の気持ちを汲み取りながらこの物語は展開します。これは、『みをつくし料理帖』シリーズで料理人の澪に続いて、新しい女性が活躍する場を生み出したと言えるでしょう。
 幸は、「ありきたりではない、視点を変え、発想を変えての新たな知恵を」探し求めます。
 葉月十五夜が、幸たち五十鈴屋にとってさまざまな思い出の日となっていることが強調されています。物語の中で、満月を幸運に向かうものとして取り上げているのです。月光の描写にこだわる私にとって、これは特筆すべきことです。「来年もきっと、笑ってお月見をしましょう。」(163頁)という幸の言葉は、この物語を引っ張っていく力が委ねられていくように思えます。作者が意識しているかどうかはわかりませんが。
 また、江戸と大坂の文化の違いは、もっと知りたいと思わせます。ただし、それはいかにも調べたという雰囲気が伝わるとマイナスです。その頃合いが、作者にとっても難しいところでしょう。
 第九章からの終盤は、伊勢型紙の型彫師、型付師をはじめとして、江戸紫の小紋が出来上がる感動的な物語として大いに楽しめました。しかも、歌舞伎役者を押したてての閉じ目は、それまでが地味な商売中心の話だっただけに、艶やかで華やかな香りが添えられています。構成と展開の妙味を感じ取れました。惜しむらくは、中盤までの話がもっと躍動的であったら、さらに完成度の高いものになったことでしょう。【4】

 以下に、これまでの『あきない世傳 金と銀』に関する本ブログでの記事を、参考までに一覧にしておきます。

「読書雑記(254)高田郁『あきない世傳 金と銀 六 本流篇』」(2019年02月26日)

「読書雑記(224)高田郁『あきない世傳 金と銀 五 転流篇』」(2018年03月22日)

「読書雑記(205)高田郁『あきない世傳 金と銀(四) 貫流篇』」(2017年08月23日)

「読書雑記(196)高田郁『あきない世伝 金と銀 三 奔流篇』」(2017年03月13日)

「読書雑記(179)高田郁『あきない世傳 金と銀 二 早瀬篇』」(2016年09月03日)

「読書雑記(159)高田郁『あきない正傳 金と銀 源流篇』」(2016年03月11日)

 
 
 
posted by genjiito at 20:23| Comment(0) | ■読書雑記
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