2019年08月12日

炎暑の中を河内高安の信貴霊園へ墓参

 大型の颱風が来る前にと、お墓参りに行きました。炎天下、涼しいスポットを探し、渡り歩きながらの京都から河内への移動です。
 久しぶりに、出町柳駅から京阪電車で京橋駅まで乗りました。相変わらず、乗り心地の良さに満足です。何よりも、本が普通に読めるのです。これで特急料金も要らないのです。文句なしに、日本で一番快適な特急電車です。
 近鉄信貴山口駅からは、霊園の送迎バスを利用します。待合室はギューギューの満員で、3台目のバスにやっと乗れました。
 霊園の入口では、ミストシャワーが身体を包んでくれます。山風と一緒に、涼しさの演出となっていました。

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 墓地から大阪平野を見下ろしました。

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 左手には今年3月まで行っていた、大阪の泉州地域を見晴るかすことがができます。

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 視線を右に転ずると、今年4月から通い出した大阪の北摂地域が望めます。

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 新旧2つの地域を一望のもとに眺めやり、今春の身辺が慌ただしかったことを、をあらためて実感しました。
 お墓に眠る両親も、ホーッ!ホーッ!と、私が語る下界でのドタバタ騒ぎの報告を聞いてくれたことでしょう。もっとも、両親の生き様は、私などとは比べものにならないほどに壮絶だったようです。
 終戦後の父は、満州からシベリアに抑留されて過酷な収容所生活を余儀なくされたのです。昭和13年に現役兵として満州に渡り、昭和23年に復員。母は、目を覆うばかりの人間の本性を否応なしに見せられて、命からがら満州から引き揚げて来ました。その戦争体験は、壮絶なものだったと思われます。両親は、互いに何も語らずに、すべてを胸にしまって旅立ちました。それに比べると、私の話などは聞き流す程度の、よもやま話の一つにしかならないことでしょう。それでも、いつも話を真剣に聞いてくれた両親のこと。私が語る、とんでもない人たちがいたかと思うと、苦境を救ってくれるかつての仲間がいた話は、思いやりで生き抜いた両親にはその意味合いが真っ直ぐに伝わったことでしょう。
 帰りには、いつものように鶴橋駅の高架下にある回転寿司屋さんに行きました。海幸サラダは、このお店の絶品です。安くて美味しいお店はたくさん知っています。その中でも、いつも満足して帰れる店は、この店を含めて数店です。
 信貴霊園は、島根県出雲市にあった我が家のお墓を、両親が終の住み処とした河内高安の里に移した所です。お盆という機会を得て、折々に両親を追慕し追善する場所として、この霊園に通い続けることでしょう。
 
 
 
posted by genjiito at 18:59| Comment(0) | *回想追憶
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