2019年07月07日

西国三十三所(2019-1)/6巡目は洛中の革堂(19番)から

 梅雨の合間のせいか、何となく身体が怠くて重たい感じがします。大和へお茶のお稽古に行こうとしていたら、あろうことか腹痛が起き出しました。私には、よくあることです。今日はのんびりと過ごすことにします。
 そんなこんなで、予定していた6回目の西国三十三所めぐりで気分転換をはかることにしました。今回は、家から一番近い丸太町通りから寺町通りに入って少し下ったところにある、革堂(第19番札所・行願寺)からスタートです。

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 先週、この革堂に来ました。しかし、朱印軸がなかったので納経の開始を見送ったことは、「京洛逍遥(556)革堂を「かうだう」と仮名書きすること」(2019年06月23日)に書いた通りです。

 西国三十三所めぐりについては、前回の5巡目をスタートしたのが、ちょうど9年前の今ごろでした。2010年7月19日に、石山寺から始めています。この時は縦長の朱印軸に御詠歌を書いていただきました。「西国三十三所(1)5周目は石山寺から」(2010年07月19日)
 今回は、以下に掲げる写真のような、今週入手した、小振りで巻物仕立ての横長の朱印軸を持ち歩くことにしました。

 革堂は、寺町通りの民家の間に挟まれるようにして建っています。知らないと見過ごします。

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 境内が狭いこともあり、山門を入るとすぐに本堂があります。

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 朱印軸を出し、小さめに書いてもらいました。

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 まずは一つ。
 これから新しい旅が始まる実感が伝わってきます。

 本堂の柱に、御詠歌を書いた奉納板が打ち付けてありました。今の表記にすると、「花を見ていまは望みも革堂の庭の千草も盛りなるらん」となる歌です。
 明治23年の奉納板の和歌を「変体仮名翻字版」で示します。

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花を見て
 今八のぞ三も
  かう多"うの
尓王のちくさも
 さ可りなるらん


 あたりを見回していると、昭和8年に奉納された御詠歌の中で、「に王」(漢字で書くと「庭」)という文字に目が止まりました。ただし、「に王」ではなくて「に生」としか読めない字で書いてあります。

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はなをみて
 いまはのぞみも
かうだうの
 に生のちぐさも
  さかりなるらん


 ここで、後者の奉納板に「に生」と書いてある文字は、本来なら「に王」となるはずのものだったと思われます。その前後の平仮名は、すべてが明治33年に平仮名が1文字の字体に統一・制定された、現行の五十音にある仮名文字です。そのような中で、この「王」という字母を持つ文字が認識出来ないままに書かれたのでしょうか。この書写者の書き癖ではなくて、変体仮名に対する意識が希薄だったと思います。

 明治23年の方の奉納板は、平仮名が一文字に統制される前の、変体仮名を用いて自由に書かれています。「八・三・多・尓・王・可」がそうです。それが、昭和8年のものでは、「天・以・久"・左・奈」が字母である漢字に近い形で書かれているものの、あくまでも文部省の指導方針を忠実に守っています。「王」と書くはずが「生」と書いてしまった一文字以外は。
 個人的な推測ながら、この昭和8年の奉納板の書写者は、変体仮名に親しんでいなかった人のように思われます。そのため、「には」とか「に八」、さらには「に者」などと書かず、手本にしたものに書いてあった、よくわからない「王」の字形を見よう見まねで書いたために、このような「に生」という文字を今に伝えることとなったのではないでしょうか。「生」という文字の縦棒が上に突き抜ける字形で書く癖があったにしても、この一文字だけが変体仮名になっているというのが、この書写者の一貫性に欠ける文字遣いとなっています。
 いろいろとおもしろい例になるので、少しこだわってみました。これも、変体仮名の受容史と言えるでしょう。
 
 
 
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ■変体仮名
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