2019年06月15日

谷崎全集読過(33)「鶯姫」「或る男の半日」

 『谷崎潤一郎全集』の第8巻(昭和34年6月、中央公論社)は戯曲集です。
 巻頭には、次のモノクロ写真が置かれています。
 これは、『源氏物語』の受容資料として貴重なものです。

※「浮かれ源氏」(「鴬姫」のパロディー)
 (昭和二十七年三月帝劇ミュージカルス)
  榎本健一の大伴先生
  筑紫まりの女学生
190615_enomoto.jpg 
 
■「鶯姫」(戯曲)
 1幕5場の内、第1場と第5場は現代、第2場から第4場までは王朝時代となっています。
 京都の女学校で、国語の教師である大伴先生に学生がテニスをしようと呼びかける場面から始まります。そこで、「つきづきしい」という言葉が出てきます。この『枕の草紙』に出てくる言葉を、3年生ではない2年生の生徒はまだ教わっていないと言います。平安朝を意識した話題を振っている箇所です。
 そうこうする内に、大伴先生はうつらうつらと眠りかけてしまいます。そして、平安朝の羅生門の鬼、渡辺綱に腕を斬られたという鬼に、平安時代に連れて行ってもらうのでした。タイムトラベルです。
 鶯姫が出てきます。しかし、仕掛けが十分には練られていなかったせいか、盛り上がりに欠けます。ここで話を打ち切っては、中途半端すぎます。次の物語を楽しみにしましょう。【2】

※初出誌:『中央公論』大正6年2月号

 今回読んだ『谷崎潤一郎全集』の解説で、伊藤整は次のように言っています。
「鶯姫」(大正六年二月「中央公論」)は一種の幻想劇としての面白さを持つたものである。この作品は、現代の女学校、平安朝の貴族の酒宴の場、屋上の鬼と少女などの姿を舞台にのせることによつて効果を生むものであり、オペレッタのやうな作劇術をそこに見るべきものと考へられる。(259頁)

 
 
 
■「或る男の半日」(戯曲)
 小説家の間室が、原稿を取りに来た雑誌記者に、できてもいない原稿をさも完成間近のように言い訳をします。この冒頭の場面は、物書きには身につまされる年中行事でもあるので、谷崎潤一郎もその手を使うのか、とニヤリとします。人間の心理を読んだ場面として、秀逸です。
 この小説家は見栄っ張りで、借金に苦しめられながらも贅沢をします。自制が効かない性分なのです。まさに、谷崎の生き様をよく反映している人物です。そこをよく理解した妻は、能天気な夫に対して、冷静に接していくのです。この取り合わせが、おもしろく組み立ててあります。
 郊外だという渋谷や代々木が、遠くて寂しいところだとあります。この作品が書かれた大正6年が遠く感じられました。
 最後に意外なオチを置いて、軽妙な劇は終わります。ユーモアを交えた、知的生活を送ろうとする遊民を描き出したものです。【3】

※初出誌:『新小説』大正6年2・5月号

 今回読んだ『谷崎潤一郎全集』の解説で、伊藤整は次のように言っています。
一種の性格劇であり、同時にユーモラスな効果を狙つて現代智識階級人の生活批評を行つたものである。(259頁)

 
 
 
posted by genjiito at 19:48| Comment(0) | □谷崎読過
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。