2019年05月19日

京洛逍遥(555)洛陽三十三所(20)泉涌寺

 洛陽三十三所20番札所「泉涌寺」に着きました。

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 境内に入ると、建物群と雰囲気に格式の高さを感じます。

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 ここの境内には、清少納言の歌碑があります。このことは、「京洛逍遥(287)文学散歩で東福寺と泉涌寺へ」(2013年08月27日)に少し触れています。

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 歌碑の文字は、風化のためにまったく読めません。かすかに、『百人一首』に採られている「夜をこめて〜」という和歌が刻まれていることがわかる程度です。パンフレットなどには、この清少納言の歌碑のことには触れていないので、みなさん通り過ぎて行かれます。

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 私なりに字母に気をつけながら「変体仮名翻字版」の翻字方法で読んでみました。これは、ネットに掲載されている歌碑の写真を虱潰しに調べ、さまざまな写真を参考にしながら、何とか翻字したものです。
 古代学協会のホームページ(https://www.kodaigaku.org/kensho/kensho.html)によると、この歌碑は、昭和49年(1974年)11月16日に、平安博物館館長だった角田文衞先生の提案で建立された歌碑であることがわかります。揮毫は芸術院会員日比野五鳳氏。45年間でこんなに石面が風化し、文字が読めなくなることに驚いています。時間があれば、建立当初の拓本や写真などで、正確な字母を確認したいと思っています。ここには、取り急ぎ一案として提示しておきます。「斗」「所」「年・者(?)」「支」は、相当時間がかかりました。ご教示いただけると助かります。

  清少納言
  夜をこめて
斗りの所ら年
      者
者可る登母よ二
逢坂のせ支は
 ゆるさし


 楊貴妃観音堂にも立ち寄りました。楊貴妃観音菩薩は個人的なイメージと違うので、いつも気恥ずかしさと躊躇いがあります。

 その泉涌寺で書いていただいたご朱印は、次のものです。

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 以下、ホームページ「洛陽三十三所観音巡礼」から泉涌寺の略説と地図を引きます。

御詠歌
 ももたびも あゆみをはこぶ せんにゅうじ
   などやほとけも まんぞくにます

泉涌寺境内にある楊貴妃観音堂は、天正三年(一五七五)織田信長建立の寄棟造りである。

楊貴妃は、唐の玄宗皇帝の妃でその美貌と美徳が玄宗の政務を怠らせる由縁となり、安禄山はその失政を楊貴妃に課して至徳一年(七五六)妃を討ったのである。

その楊貴妃を偲ばせる仏体は寄木造りで、宝冠は宝相華唐草の透かし彫りで御冠を偲ばせるものがある。手には極楽の花の宝相華を持し、生けるが如くに坐しておられる。世にこの観音菩薩像を楊貴妃観音と呼ばれるようになった。

我が国には、寛喜二年(一二三〇)當山開山月輪大師の弟子湛海宗師により請来された。以来、応仁の乱などの戦火に於いても難を逃れ、百年目毎に開扉されてきた秘仏であったが、昭和三〇年御厨子の扉を開き皆様に参拝して頂いている。

現在は美しいお姿の観音様にあやかろうと、女性の篤い信仰を集めている。平成九年に重要文化財に指定された。


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 今回の写真も、先週5月5日に撮影したものです。
 
 
 
posted by genjiito at 20:09| Comment(0) | ◎京洛逍遥
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