2019年05月18日

京洛逍遥(554)洛陽三十三所(18)善能寺

 洛陽三十三所19番札所「今熊野観音寺」(西国三十三所15番)の入口右側には、狭い小道があります。

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 この道からさらに奥にある20番「泉涌寺」に向かって草木に覆われた山道を進むと、18番「善能寺」の前に出ます。

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 新緑の中に爽やかなたたずまいの本堂(祥空殿)があります。

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 ただし、朱印をいただく納経所は、この善能寺の境内にはありません。少し先の泉涌寺の本坊でいただいてください、ということです。

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 巡礼の札所の一つに選ばれながらも、無住のお寺となっているようです。全国の巡礼寺院がそうであるように、グループ内に留まって維持管理していくことの難しさを感じます。今は、ご朱印を集めて回る女性に支持され、全国的に人気の朱印帖ブームも、すぐに失速することも考えられます。若い女性に飽きられたら、このブームは終わるのです。高齢者に支えられるだけでは、お寺はグループ内でのポジションの維持も大変でしょう。長い展望で見ると、何か別の巡拝を支える仕掛けが求められることになるでしょう。私は、神仏への畏敬の念と人々への感謝の気持ちを包み込む巡礼が、これからの霊場巡りの基盤になるのではないか、と思っています。その中でのスタンプラリーは、私は大好きです。長く続けるためには、目的意識が大事だと思うからです。

 その泉涌寺で書いていただいた善能寺のご朱印は、次のものです。

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 以下、ホームページ「洛陽三十三所観音巡礼」から善能寺の略説と地図を引きます。

御詠歌
 かんおんに まいりてあくを ひるがゑす
   いまにこころも ぜんのうぢかな

善能寺は、もと八条油小路にあって二階観音堂と言いましたが、弘仁十四年(八二三)弘法大師が稲荷大明神を祀る寺として善能寺と号されました。

弘法大師の伝記に依りますと、弘仁十四年四月東寺の南門に稲を荷った老翁が訪れ「私は八条二階観音堂に住む柴守長者で、無者の者に福を与える者である。あなたの仏法を守護します。」と申されました。

大師は喜んで、赤飯を供養し法華経を講じてもてなしました。そして長者を「稲荷大明神」と尊称し、お住まいの二階観音堂を善能寺と名付け、御本尊を聖観音、又稲荷社を祀って懇ろに供養されました。当寺の稲荷社は、その尊い由緒で知られるように、日本で最初に祀られた稲荷大明神で数多の人々の信仰を集めていたことが窺い知ることが出来ます。

天文二〇年(一五五一)後奈良天皇の綸旨によって、泉涌寺の護持院として当山塔頭今熊野観音寺の西北に移されました。

明治維新を経て荒廃し、明治二〇年(一八八七)再興の時に現在地に移りました。

現在のお堂[祥空殿]は、昭和四十六年北海道横津岳で遭難した「ばんだい号」の遺族谷本氏が、すべての航空殉難者の慰霊と事故の絶無を祈願され、建立寄進されました。


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 今回の写真も、先週5月5日に撮影したものです。
 
 
 
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ◎京洛逍遥
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