2019年05月13日

京洛逍遥(550)洛陽三十三所(21)法性寺

 京阪電車「東福寺」駅から線路沿いに南へ歩いて5分ほどで、目的の法性寺(ほうしょうじ)に行けます。この地域には、泉涌寺を中心として、18番「善能寺」、19番「今熊野観音寺」、20番「泉涌寺」、25番「法音院」が集まっています。まずは、駅に一番近い「法性寺」からです。

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 門が閉まったままだったので、インターホンで朱印をお願いしました。
 しばらくして年配の女性が出てこられました。そして、朱印の用紙を手渡しすると、お待ちくださいと仰って、そのまま中に入っていかれました。お寺の中には入れないようなので、外の門で待ちました。国宝観音菩薩像も見せてもらえませんでした。お願いすれば見られたかも知れません。しかし、そのような雰囲気ではなかったので、遠慮しました。

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 大分外で待ってから、いただいた朱印は、次のものでした。

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 藤原忠平(貞信公)の創建になるお寺で、この観音様は「二十七面千手観音」とあるので、珍しいものなのでしょう。いつか機会があれば、ゆっくりと拝観することにします。

 以下、ホームページ「洛陽三十三所観音巡礼」から法性寺の略説と地図を引きます。

御詠歌
 かれきしに みのりのふねの ほうせいぢ
   じょうぢのうみを やすくわたせる

浄土宗西山禅林寺派、山号は大悲山、本尊は二十七面千手観音。

延長二年(九二四)に藤原貞信公忠平が創建した藤原家の氏寺である。以後、平安時代を通じて戦火で焼失するも、藤原家一門の加護を受けて発展し、忠平八代の末孫藤原忠通のころには、金堂、五大堂、灌頂堂、三昧堂等、百棟を数える堂塔伽藍が建てられ、京洛二十一ヶ寺の一つに数えあげられるほどの寺観と荘厳を具備した名刹であった。

以来、公卿の政権は衰えて武士が政権を行うようになり、平安の都も戦乱の火中となって、応仁の乱には、本邦無隻の壮観であった法性寺の諸伽藍も、兵火に焼け、著名の仏像も灰燼となった。其の後、再建の機運に会えず、僅に災いを免れた仏像は、小堂に収容し、久しく安置されておりました。

今の法性寺の御本尊観世音菩薩は、忠通公が四十二才の時、難病にかかり、この観音様に、御祈祷なさいますと、数日にして回復されましたので、其の後、厄除観世音菩薩と称され、永く洛陽三十三所観音霊場の第二十一番の札所として世人をお導きくださいまして現在、国宝に指定されています。


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 今回の写真は、先週5月5日のものです。
 
 
 
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ◎京洛逍遥
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