2019年05月21日

吉行淳之介濫読(20)『コール ガール』

 この『コール ガール』(吉行淳之介、角川文庫、昭和50年5月)は、前回は昭和54年正月に読み終えています。しかし、内容はまったく覚えていませんでした。そのせいもあってか、楽しく読めました。

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 書き出しは、作者(語り手)が「コール ガール」という作品を週刊誌に連載することとなり、都内に部屋を借りて執筆を始めるところからです。対談の名手と言われる吉行らしい、乗りのいい語り口です。
 アメリカのコール ガールを引き合いに出し、精神分析医のハロルド・グリーンウォルド氏の『コール ガール』(中田耕治訳、荒地出版社)を引用しながら、日本のコール ガールとも違う娼婦と比較しながら論じたりします。実に楽しそうに語っていきます。
 この作品が連載物であることは、「この作品の第1回で、書いておいたように、〜」(101頁)とあることからわかります。掲載雑誌の読者を多分に意識した、読者に語りかける口調で物語は展開します。
 文中に、一年前に刊行した『浮気のすすめ』(昭和35年3月〜11月、『週刊サンケイ』連載、35回、同12月に新潮社から刊行)からの引用文が、次のことばの後に12行分ほどあります。
 彼女の演出及び演技力の一端を、『浮気のすすめ』から引用してみよう。(78頁)

 また、その『浮気のすすめ』の内容に対して抗議があった話が7行分あり、その抗議は筋違いだとしてここに反論を書いています(131頁)。なかなかおもしろい構成です。
 空は鉛色で、湿気が多くて、皮膚はジメジメしている、という描写は、本作でも健在です。吉行の作品でよく出てくる、特徴的な表現です。ゼンソクの持病を抱えることから、この表現は至る所でなされます。
 隣室のコールガールの部屋に行き、隣の自分の部屋からおつまみを取り出してくる話の「23 乾酪盗人」(190頁)は秀逸です。
 後半で展開する「全日本タイトルマッチ、コールガール選手権試合」は、面白半分のネタながら、作者は楽しんで書いています。遊び心の本領発揮です。女性をモノ扱いにしていると、今なら批判される内容です。しかし、作者は本気です。もしお急ぎの方は、「30 決戦の日近し」(角川文庫、251頁)から「37 奇想天外」(325頁)までの節を読むだけでも、十分に本作を堪能できます。
 最後に、また精神分析医ハロルド・グリーンウォルド氏の『コール ガール』(中田耕治訳)を引用しながら、日本のコール ガールとも違う娼婦と比較しながら、真面目な私見を展開します。生真面目な吉行の本領発揮です。
 そして、最後の作者のまとめは、これまた吉行らしい生真面目なものです。
 興味の赴くままに、肩肘張らずに随想のような語り口に、すっかり引き込まれました。物語る作者が、時たま小説家吉行淳之介として登場します。いろいろな仕掛けがなされています。
 なお、この作品を生み出した前作『すれすれ』(昭和34年4月〜12月、『週刊現代』連載、38回、昭和34年10月に講談社から刊行)のことが、作中に出ています。
 もともと田井重吉は私の作品『すれすれ』の中の重要な登場人物である。その作品のなかの彼がこの世を去る場面を引用して、あらためて田井重吉の冥福を祈ることにしようとおもう。(396頁)

 こうした形で引かれる登場人物に関しては、吉行の作品を通して注目しています。そのことは、またいつか書きます。
 また、関西在住の田中堅太郎氏からの手紙によるものとして、関西の状況については次のように言います。
関西では、この方法によるものの最も盛んなのが、神戸です。この土地は、昔からの港町で取締まりがゆるく、現在は戦前以上です。あきらかに売春防止法に抵触するもの以外は、追求されません。結構なことです、ありがたいことです。したがって、コールガールの質も非常に高く、そして広く、大阪、京都はその足下にも及びません。
 大阪は……、ほとんどが赤線上りです。中継所もうどん屋とか三畳土間だとか、そのくせ値段は時問で二千円です。不潔さは天下一品也。
 京都は……、日本の観光都市として、健全娯楽をうたっていますから、売春防止法にちょっとでも触れるものは徹底的に取締まられます。したがって、コールガールは、絶対に表面に出ていません。旅館で呼んでくれるところも稀にありますが、いわゆるヤトナばかりで、素人は皆無。ポン引の手を経るものは、ドングリ橘一帯のジキパンで、プロもプロも大プロで、コールガールの部に入らず(184頁)

 本作品を読んだメモに、「41節は『赤と紫』のモデルか。同じパターンの話である。」とあります。またいつか、このことを検証してみたいと思っています。【4】

※?の表現
 「差出人の住所は書いてあらず、」(49頁)
 「田舎ナマリの岩乗な女中だけだがな」(237頁)

書誌情報:『週刊サンケイ』連載、昭和36年2月〜37年1月、45回、昭和37年3月に角川書店から刊行)

※参考情報:「『コール ガール』の頃」(吉村平吉・風俗評論家、『面白半分 とにかく、吉行淳之介。 愛蔵版』、昭和55年1月、面白半分編集部、面白半分社)に、次のような裏話が語られています。本作品を理解する上で大いに参考になる話なので、長文ながら以下に引用します。
 自分自身が、売春婦のいる世界の生活にずぶずぶに漬っていた時期だったから、娼婦を主人公にしたり娼婦が登場したりする小説類を読み漁っては、生意気にもわたしなりの批評をくだしていたのだった。
 かねがね、自分のぐうたらと不行跡を棚に上げて、新聞や雑誌の売春社会または売春婦に関する文章のいい加減さに腹を立て、軽蔑していたのだ。
 吉行さんの作中の娼婦は、いずれもそんなわたしの心をときめかすほどの実在感と親近感をたたえていた。むろん小説としての見事さに感銘させられもしたが、それ以上に、作中人物へのわたしの側からの熱っぽい感情移入があったわけである。
 わたしの気持が通じてか、銀座の勉強会のあと、吉行さん単独でのご指名があって、以後、ちょくちょくお逢いするようになった。
 お逢いすると、お互いに妙な具合の真顔で、Y談がかった女の話や売春業界の話を交わすのが常だった。ポン引き稼業はお喋りと相場がきまっていたし、吉行さんのほうはあの名うての聴き上手だったから、当然にいつも話が弾んだ。
 そのうち、吉行さんの小説やエッセイのなかに、わたしらしき人物とかわたし風のポン引きとかが登場するようになった。読んでいて、面映ゆい気がしないでもなかったが、満更でない気持のほうが強かった。よく映画俳優なんかが、○○監督の作晶なら、ぜひとも出演させていただきたい、といった発言をしているが、ちょうどそういった心境だった。
 吉行さんの年譜によると、昭和三十五年の週刊誌の連載エッセイ『浮気のすすめ』、初めての新聞小説だという『街の底で』、そして翌三十六年の週刊サンケイ連載小説『コールガール』−の頃が、わたしの影みたいなものが吉行さんの作品のなかに見え隠れしたピークだった。したがって、しょっちゅうお逢いしていたし、しょっちゅうご馳走になっていた。
 とくに『コールガール』の連載中は、毎週のように、取材の手伝いをさせていただく格好になった。この小読は、作者が当時まだわが国でほ実態が明らかでなかった"コールガール"と呼ぼれる売春婦の存在を求めて探訪して歩く……という、いかにも週刊誌の連載らしいドキュメントタッチのもので、吉行さんは実際に、情報にもとづいて東奔西走したのだ。
 その頃はもう、わたしはポン引き稼業の足を洗っていたのだが、それでも古巣の売春業界には大勢の仲間が残っていたから、もっぱらそれらの連中を活用した。
 元仲間のボン引きのルートをたどって、コールガールと称する女たちに近づいたり、モグリ売春業者のなかの気のきいたので、アチラ風の仕組みにしたものなどに接触したりしたのだ。
「−よく考えてみると、平さんに、直接女を世話してもらったことは、一度もないんだよな」
 吉行さんがわたしに向って、新発見のようにこういったことがあるが、まったくそのとおりだった。
 おそらく、吉行さんは、ポン引きを介して女を買うなどという趣味は、まったくなかったのだろう。わたしをはじめとするポン引きという職業(?)、さらにモグリの売春業界の仕組み、そこにいる女たち、そういったものに探究心をかき立てられたに過ぎなかったのだろう、と、わたしは思う。
 それにしても、『コールガール』の頃の吉行さんは、探究的な好奇心旺盛で、探訪的行動にも結構マメであった。
(中略)
 一般の読者は気づいていないかもしれないが、吉行さんの小説には、いわゆる悪役的な人物は描かれていない。むろん正義の味方なんぞはお呼びじゃないだろうが、根っからの悪党も登場していない。ポン引きも、売春業者も、詐欺漢も、まして娼婦、女性。
 野間文芸賞のパーティでは、主賓である吉行さんがどういうわけか会場の隅のほうに佇んでいて、真っ先にわたしの傍にきてくださった。浅草のはずれからきた元ポン引きのために。(160〜161頁)

 
 
 
posted by genjiito at 22:46| Comment(0) | □吉行濫読
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