2019年05月10日

2002年春にインドで書いた未公開日記(その14/第10週)

 2002年にインドのデリー大学に客員教授として赴任していた時の、大学での様子や、インドでの日常生活をあるがままに記した日録の公開です。
 ここでは「第10週 03/10〜03/16」の出来事を扱います。すでにクラッシュしたままのホームページでも、「第8週」以降は未公開のままだった部分です。メモを元にして、適宜インドでのことを思い出しながら、再現しています。
 今回は、3月11日のメモを復元しました。

--------------------------------------

■2002.3.11■



 今朝も頭が重い。熱もなければ咳も出ない。ただ、頭がだるいのである。食後すぐに寝る。お昼前に起きて、G3さんの『チベット語・日本語・英会話』の本の校正をする。細かなミスが多い。日本語をローマ字で表記するのは限界がある。改訂版では、ぜひひらがなと簡単な漢字を使った文を添えるべきである。
 帰国の準備に入る。日本に送ってしまう本を選ぶ。といっても、持ってきた本のほとんどだが。船便だと、3ヶ月ほどかかるそうである。一包み5キログラムで300円程度だというので、気楽に送れる。20冊ほどを、送ることにした。これでスーツケースが相当軽くなる。
 オートリクシャーで、N8先生とN2君の3人でコンノートプレイスへ。まずは荷造り屋さんに荷物を頼み、ジャンパト通りへ食事に行く。目的の店は、少し迷ったがすぐに見つかった。入口は狭く、中は暗い。しかし、広い食堂になっている。
 私は、チキン・ビリヤニとラッシーを注文した。2人はマトン・ビリヤニであった。ビリヤニは、煮込んだ混ぜご飯の焼きめしだそうだ。ところが、食べてびっくり。インドに来て一番辛い料理である。ただし、大きなチキンはおいしかったので、ご飯にはほとんど手を付けず、チキンだけとラッシーを飲んだ。インドに詳しい2人とも、これは辛すぎるし、ご飯がベトベトしすぎだと言っていた。上人に紹介された店であったけれども、これはハズレであった。
 次に、ジャンパト通りにある政府系の地図の会社である「サーベイ・オブ・インディア」へ行く。狭い階段を上ると、だだっ広いところに男の人が3人、ふんぞり返っている。2人が地図のことを聞くと、面倒くさそうに対応する。3人とも横柄である。そして、不親切である。奥の地図置き場の部屋を覗くと、ここには5人の男が暇そうにしていて、中を見ていると外で待っていろと言う。これらが、インドではかの有名な、仕事をしない大勢の国家公務員の人たちであった。一つの仕事を、5人以上で分担してするのである。無駄の極地と思える。しかし、10億人もの人々が住む国では、仕事を分け与えるのも大変なのだろう。
 2人がベンガルやアイヨディアの地図を買うことになったら、受付の男が左後ろの男の所でお金を払えと言う。その男が、またゆっくりと領収書を書く。お釣りも、なかなか出ない。もらった地図を留める輪ゴムを要求すると、これはインドにしては珍しくスッと渡してくれた。しかし、これが地図を巻こうとするとすぐに切れてしまう。別のものはないかと言うと、おもむろに机の下から新聞紙を切ったものを出し、それで包み始めた。包装できるように新聞紙を適当に切ったものを用意してあるのなら、最初から包んでくれればいいのに。本当にやる気のないインドの公務員の姿を見た。ここは、日本で言えば、国土地理院にあたるところだそうだ。インドの公務員は、本当に大変な存在である。
 ジャンパト通りの土産物屋さんの中に、私が探しているタンカを置いている店が何軒かあった。その中に、まともなものを置いているところが見つかったので、少し丁寧に見た。六道の図はなかった。しかし、いいものは何枚かはあった。もっといいものを、と言うと、下から出してくる。それは、20,000ルピー以上もした。装丁をしていない絵だけでも、いいものは18,000ルピーもする。そして、それらも細部の描写はそんなに丁寧には仕上げていない。結局、ここでは買わずに帰る。
 梱包屋のおじさんにお金を払う。一つ50ルピーで二つ分。郵便局へ荷物を持って行く。あらかじめN2君が持っていっていた。なかなか順番が回ってきそうもない。窓口は4つあるのだが、係員は一人しか対応していない。カウンターには、十人以上が身を乗り出して横に広がっている。それでも、一人しか仕事をせず、他の人はみんなしゃべっているか出たり入ったりしていた。これではいつになるのかわからない。郵便局に近くて梱包をしてもらうところはここしかないので、ここに持ってきたのである。
 しかし、こんな調子では、お寺の近くのラージパットナガルの郵便局に、ここで梱包したものを持ち込んだ方がかえって早いだろう、ということになり、その郵便局を出ようとした。ところが、その時に郵便局の男の人が帰ろうとする我々を呼び止めて、どうしたのかと聞くのである。N2君がいつまで待っても埒があかないので別の郵便局に持っていくことにしたと説明すると、それではお前たちの荷物を受け付けてやろう、というのである。そして、暇そうにしていた4人の郵便切手を売る窓口にいた女性の一人に、これを処理するように言うと、その女性はニコニコしながら別のカウンターのところに持って行けといって、そこへ自分も移動した。ラッキーと思ったが、これでいいのか、とも思った。先程の列には、たくさんの人が順番を待っているのである。私たちは助かったとはいえ、不平等極まりないことである。公務員の気分によって仕事をするのは、かえって公務員不信に陥る。
 さらにおもしろいことに、昨日、N2君がカセットテープなどを送ろうとしたところ、パスポートがないとダメだと言って突き返した女性が、今、好意で私の本の発送を特別待遇でやってくれているのである。昨日はパスポートを持っていなかったN2君は、昨日はパスポートのいらない本だけを送り、今日はパスポートを持ってきてカセットを送ろうとしたところ、今日の係員はパスポートを見もしなかったという。郵便局員は、本当に気まぐれに仕事をしているとしか思えない。それも、同じ人間が、ある時は厳密に、あるときは本当に適当に処理をする。それも、今日は待っている人の順番を無視して、ニコニコしながらいいことをしているように仕事をするのである。
 我々が手続きを進めていたときに、正規の列に並んでいた一人の人が、自分のものも特別にやってくれ、と言っていたが、それは冷たく断られていた。インドに来る前に聞かされていたことではある。この国の公務員の仕事ぶりは、本当にわからない。
 パリカ・バザールでビデオCDを買う。先日行ったところではなくて、その上の階には、たくさんのDVDやビデオCDのお店が並んでいる。私は、ネルー大学のK先生が言っていた映画の名前を言ってみた。これは、N2君も正しくは何というのがわからない、と言っていたものである。ところが、驚いたことに私がメモ通りに「ハム アッケ ヘ コン」と言うと、すぐに「あるよ」と言うのである。初めて使った、ダメだろうと言われて使ったヒンディー語が、一発で通じたのである。感激の一瞬であった。その他、有名ないくつかの映画を買った。「ラブイン東京」は、3人が一枚ずつ買った。日本では手に入らないものをいろいろと物色するのは、楽しい買い物である。
 最後は、チベットのハンディクラフトのお店へ行く。今回のオートリクシャーの運転手は、昔はオートバイのレーサーかと思えるほどのコーナーワークで疾走する。年輩だが、なかなかのハンサムである。華麗なアウト・イン・アウトをこなす中で、スピードを緩めることなく道を走り抜ける。燃費のいい走りっぷりであった。
 先日は閉店後に行ったが、今日は間に合った。小綺麗なお店で、好感が持てる。品揃えもいい。タンカもいろいろとあった。見せてもらった中の一枚が気に入った。何よりも、値段が安かったのである。みんなで、チベット亡命政権を支援するためにも、と言って、いろいろと購入した。ブッダの金属製の像があった。しかし、3種類の手の意味するものがわからない。店の人に、G3さんのところへ電話をしてもらった。14日に帰ってくるとのこと。N2君は、私とG3さんの関係を説明していた。
 いろいろとみんなで買っている内に、亡命政権を助けるためにここで買い物をするということは、ダライ・ラマは日本に来なくてもいいようにすることになる、と言われて、はたと困った。しかし、とにかく今は協力しようと言うことで、たくさんのものを買った。
 帰り道は歩くことにした。ところが、長い道のりであることに暫くして気づいた。今日はこの帰り道で一気に疲れた。途中で寄り道をしながら、最後はいつものジュースを飲んで帰った。充実した一日であった。

 
 
 
posted by genjiito at 22:27| Comment(0) | ◎国際交流
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。