2019年05月09日

2002年春にインドで書いた未公開日記(その13/第10週)

 2002年にインドのデリー大学に客員教授として赴任していた時の、大学での様子や、インドでの日常生活をあるがままに記した日録の公開です。サーバーがクラッシュしたために、読めないままとなっていた記事を、折々に再現しています。不十分なバックアップではあるものの、「デリーの土埃(A cloud of dust in DELHI)」で、その一部は読むことができます。これは、いずれすべてを復元するつもりです。

 さて、ここでは「第10週 03/10〜03/16」の出来事を扱います。すでにクラッシュしたままのホームページでも、「第8週」以降は未公開のままだった部分です。メモを元にして、適宜インドでのことを思い出しながら、再現しています。
 今回は、昨日に引き続き、3月10日のメモから復元しました。

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■2002.3.10■



 お寺での朝食の時、京都から今年卒業する女子大生が来ていた。これからバナラシに行く予定だとのことで、それを上人さんたちが考え直しては、と言っていた。今、バナラシは非常に危険な状態にあり、何があってもおかしくない時なので、別のコースにしては、という趣旨である。
 明後日の12日にシバ神のお祭りがあり、街中にダシが出て大騒ぎをするそうである。無礼講の状態になるので、旅行者などは街に出られず、ホテルに閉じこもることになる。無礼講の意味がわからないということで、上人さんにどういえばいいのかと問われたので、わたしは「何でもあり」という意味です、と答えた。
 また、アイヨーディアのラーム寺院建設問題で、15日には建設賛成の人たちが集まり、実際に建設に着手するのでは、とも言われている。とにかく、最近のグジャラート州での暴動で700人以上が犠牲となっているので、この時期はどこで何があってもおかしくないというのである。そのような中を、女性が一人でこの時期に危険なところへ行くことを、事情をしっている立場からは、勧めないということである。
 この女性は、こうした情報は、まったく持っていなかった。確かに、日本にいては、インド全体のことは報道されても、さらに小さな地域のことなどは流されないので、知りようがないといえばその通りである。現地情報をいかにして入手するかは、旅するものにとっては大切である。到着して、バックパッカーたちに話を聞いても、実際に新聞やテレビなどで正確な情報を持っている人はほとんどいないのだから。問題の多い国への旅行は、なかなか難しいところがある。
 久しぶりにホームページのための文章に手を入れる。しばらく、慌ただしい日々と、体調維持のために、書くよりも体を休めることを優先してきたからでもある。
 お昼前に、N2君と女性2人でデリーの散策に出かける。今日は、シーク教の寺院と、バックパッカーたちの溜まり場であるメインバザールへ行くことにした。
 コンノートプレイスの南西にあるシーク教の寺院であるバングラ・サヒブまで、オートリクシャーで60ルピー。N2君がお尻を突き出しての4人乗りである。

 シークの寺院は大きかった。

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 インフォメーションセンターで靴を預かってもらう。そして、頭を覆う布を貸してもらう。短剣を刺したおじさんが、紐を結んでくれた。インフォメーションセンターは、なかなか綺麗な応接室になっていた。

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 寺院の入口には、足洗い場があり、まず足を水につける。ところが、この水が汚いのなんの。水虫がうつりそうな濁った水である。郷に入っては郷に従えで、その水に足を浸す。生ぬるい水であった。これで身体を清めたことになる?
 寺院の中には、敬虔なシークの人たちが、熱心にお祈りをしていた。3人が、据え置き型のアコーデオンのような楽器を鳴らして歌っている。

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 その裏に回ると、パソコンがあった。ウインドウズらしき画面がモニタに映っている。黒いキーボードにマウス、そして外付けのハードディスクと、ものものしい装備である。音楽と歌をミキシングしているのだろうか。進行状況を管理しているのだろうか。よくわからない。

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 外に出ると、大きな池があった。

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 子どもたちに水浴びをさせる親が幾人もいる。しかし、その水は茶色に濁っている。大きな鯉が何匹も泳いでいるのが確認できた。しかし、水が濁っているのでよく見えない。一人のおばさんが我々に付いて来ており、いろいろとN2君に話しかけている。説明してくれているようである。池の周りを歩いているときも、なにやら話しかけてくる。N2君は適当に相手をしている。インドの人は、よくわからない。池の中では、泳いでいる子どももいた。

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 日陰に、サーベルのような長い刀を抜いて見せている人がいる。シークの人たちのシンボルだそうである。おばさんは、いつしか先へ行ってしまった。インフォメーションセンターへ戻って頭を覆う布を返し、靴に履き替えていたときに、先程のおばさんが入ってきた。そういえば、最初にこのインフォメーションセンターに入ったときにいたおばさんだったのだ。親切に、我々に説明してくれていたのである。改めて、訝しい目で見たことを反省する。受付のおばさんも親切な人で、何かと話しかけてくる。調理場を見て食事をしないか、というのである。早速OKして、また靴を脱ぎ、頭に布を巻いて再度出発する。

 大広間とでもいうべき広いスペースに何列にも筵道があり、そこに一列に座って並ぶ。すると、タリーのステンレスのお盆が配られ、そこにダールが盛られる。そして、チャパティや食パンが置かれていく。まさに早業で、次々と食事が配られる。大根の漬け物ももらえる。

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 一列に背中合わせで200人以上が座り、同時に4列くらいが食事をする。終わるとサッと片づけられ、また次の列ができる。効率よく列が出来ては次の列に移るという、システマチックな捌き方である。グジャラート州の震災の時などに、この手法でたくさんの難民を救ったという話が、実感としてわかる。実に実践的な給仕の方法となっている。また、隅には食べ残しをひとまとめにする人がおり、奥には、流れ作業でタリーのお盆を洗っていく。本当に見事な仕事の流れ作業となっている。

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 背後の食事を作る場所も見た。大きな鉄板でチャバティを焼き、大きな鍋でダルを煮ている。大仕掛けの作業場と化しているのには驚いた。宗教的な場所での、大がかりな給食奉仕である。

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 オートリクシャーでニューデリー駅のメインバザールへ行く。私は2度目なので、ゆっくりと見ることが出来た。

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 日本語で話しかけてくるおじさんは、以前より圧倒的に多くなっていた。日本人の学生が増えたせいか、カモが大勢いるのだろう。多数のバックパッカーが、こうした人に騙されているのであろうか。ラーマ・クリシュナ・ミッションへ行ったら、今日はイベントのために入れないとのこと。図書館などがあり、学生にとっては重宝する場所だそうである。先日行った日本食屋さんでドリンクを飲む。N2君がK1大学の学生を呼んできた。先週来たばかりで、インドのフィールドワークをする大学院生である。まだテーマが見つかっていないらしくて、いろいろと悩んでいるところのようである。あまり押しの利くような感じの女性ではないので、焦らずにじっくりとテーマを探してほしいと願う。来たついでに、彼女が泊まっているバックパッカーご用達しというホテルを見せてもらった。200ルピーでまあまあの部屋である。ただし、窓がまったくないので、非常時には逃げられない。たくさんの部屋があった。比較的きれいだったが、リスクの多さが気になった。
 メインバザールを散策。風呂敷のような暖簾を探す。いいのがあったので、2枚買う。ニューデリー駅の前で、この前買ったものと同じ番号のナンバーダイヤルを見つけた。もっとないのかと言うと、10個近く出してきた。その内の、4個を買った。こんなに同じ番号ばかりの鍵が氾濫していては、防犯もあったものではない。
 ニューデリーの駅を散策。実際に二等のスリーパークラスの車両に乗ってみた。狭いが、思ったより綺麗だった。空港から到着するというバス停も見学。たくさんのバックパッカーを、この駅に降り立って騙されるのである。しっかりと見ておいた。
 引き返すと、なんとアンサルプラザとここくらいしかないというエスカレータに乗る。おっかなびっくりで乗る人が何人もいる。インドの人々は、まだ、このような道具に慣れていないのである。
 駅前でオートリクシャーを捕まえる。5人なので、2台に分乗する。私は、デリーに来たばかりの人と乗った。コンノートプレイスの外周を走っていて、インド門の方に左折する時に、突然左側にいたバスと衝突した。こちらのオートリクシャーは、大きな衝撃と共に右側に傾き、スーと大きくスライドした。一瞬、ひっくり返るのかと思ったが持ち直し、すぐに体勢を立て直した。オートリクシャーの運転手は大声でバスの方に叫び、車を左側に寄せて止まってからバスの運転手と激しい口論となる。車体の左後方が凹んでいる。どうしようもないので、しばらく座ったままで成り行きを見つめた。N2君たちのオートリクシャーはすでに左折して見えなくなっていた。
 結局は言い合いで終わり、まもなく発車した。三輪車の後方にぶつけられたので、ひっくり返ることは避けられたようである。危ないところであった。ひっくり返っていたら、恐らく命に関わる事故になっていたことだろう。左側から突っ込んだ形のバスの方が悪いのは明らかである。それにしても恐ろしい場面であった。以来、運転手は慎重に運転していたように思える。しばらくしてから、運転手が行き先を確認した。よくわからないままに走っていたようである。アンサルプラザへ行くことを伝えた。しかし、道をよく知らないらしい。私がその場所をよく知っていたので、どうにか誘導して到着する。マグドナルドの前での待ち合わせに成功し、高級ショッピングセンターを散策開始となる。今日は日曜日であることも手伝ってか、たくさんの人が出ていた。
 住宅展示場をまわる。300万円ほどの物件が売られていた。これなら、日本人にも手が出せる。共同で購入してみんなで使えば、有効な拠点となる。おもしろい冷やかしであった。
 今日は、天気がよかったせいもあり、非常に体力を消耗したようだ。体がだるい。日差しが強かったのだろう。帰ってから少し寝る。E1さんから、作文がメールで届いたかという確認の電話があった。
 洗濯をして、また寝る。疲れた時には、休むに限る。
 晩ご飯は焼きめしだった。なかなか美味しかった。

 
 
 
posted by genjiito at 20:00| Comment(0) | ◎国際交流
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