2019年05月07日

2002年春にインドで書いた未公開日記(その11/第9週)

 2002年にインドのデリー大学に客員教授として赴任していた時の、大学での様子や、インドでの日常生活をあるがままに記した日録の公開です。サーバーがクラッシュしたために、読めないままとなっていた記事を、折々に再現しています。不十分なバックアップではあるものの、「デリーの土埃(A cloud of dust in DELHI)」で、その一部は読むことができます。これは、いずれすべてを復元するつもりです。

 さて、ここでは「第9週 03/03〜03/09」の出来事を扱っています。すでにクラッシュしたままのホームページでも、「第8週」以降は未公開のままだった部分です。メモを元にして、適宜インドでのことを思い出しながら、再現しています。
 今回は、3月4、5、6、7日のメモが見当たらないので、8日のメモから復元したものです。

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■2002.3.8■



 食後、D大学のHさんにお願いして、オートリクシャーの運転手にネルー大学へ行く道を説明してもらう。運転手はわかった、という顔をして出発した。しかし、いざ大学の門に到着すると、途端にうろうろしだす。北門なのに、別のところを走る。最後には、ここで下りろというので、いやだと言った。とにかく、また引き返して北門に行くことになる。すると、何と言うことはない、最初に通った門の所に、T4先生が車で待っていてくださったのである。車で学科の校舎まで連れて行ってもらう。
 学科長室で、歓迎の花束をもらう。こうした対応がしっかりした学校のようである。数人の先生と名刺交換をする。みなさん、日本語がうまい。
 学生は、25名ほど集まっていた。2人の先生も。
 自己紹介と、国文学研究資料館の説明と、コンピュータを活用した文学研究と、インド人貿易商のモーデが持っていた伝阿仏尼筆本について話す。
 なかなかよく話についてきてくれていた。質問も出た。2時間はたっぷりとしゃべる。さらに、その後に1時間ほど、これからの文学研究に対する姿勢について話す。
 お昼は、学生食堂の外でパニールを食べる。2人の先生は、國學院大學で野村純一先生から民俗学を教わった人。もうひとりは、大阪大学でK2先生から説話を教わった人。私の知っている学校であり、知っている先生だったので、話がはずむ。帰り際に、先日のK・Sのコンサートで私たち2人が通訳をしていた、との話。先程学生たちに、あのコンサートは失礼だったと言ったばかりだったので、こちらが恐縮した。内容は、あらかじめ何も知らされていなかったようである。
 お一人がこれから国際交流基金に行くと言われたので、私も一緒にいく。I1先生の到着時間のことと、『百人一首』大会の賞品について、S2さんとの相談である。すこし休んでいたら、U先生とあった。びっくりした。偶然とは恐ろしいもので、こんな所で、という気がした。
 G4さんに、大学でいただいた花束を渡す。飾ってもらうためである。
 夕食前に、N2君が南インド料理を食べに行くという。最近、このお寺の食事がワンパターンなので、少し変化を求め出したこともある。私も一緒に行く。D大学のTさんも一緒に行く。グレーター・カイラーシュのMブロックにある、いつものカメラやさんの並びの店である。ワッフルの固いもので包んだ料理だった。今日は、私が大阪大学から学位を取得した記念にということで、ご馳走することにした。しかし、ここの料金は、大変安かった。お薦めの店である。

 
 
 
posted by genjiito at 23:58| Comment(0) | ◎国際交流
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