2019年04月14日

夢の中で聞いた意味不明の詞句

 今から思い返すと、それは夜明け方のことでした。
 突然、つぎの一句が耳に響きました。
 電光掲示板のように、文字が流れたのではありません。
 間違いなく音声でした。

「じゅんせいの わたしにさわる あとかたづけ」

 何を思ったのか、ふいに目を覚まし、さらにはこのことばを忘れないようにと、すぐに iPhone に「平仮名」でこの詞章を入力しました。何でもすぐに記録する癖があるので、この時もその習性が働いたのでしょう。
 そして、この不思議な一句の意味を考えるよりも、どんな漢字になるのかに思いをはせました。とにかくその時は、何かのフレーズの一部を聞いたのだと思ったのでしょう。

(1)「じゅんせい」が何なのかわかりません。
 「純正」なら「純粋でまじりけのない」という意味。
 「順正」なら南禅寺の湯豆腐屋さん、ではなくて、「おとなしい」とか「道理にしたがって正しい」という意味。

(2)「の」は「格助詞」なのか「終助詞」なのか。

(3)「わたしに」は「私に」としか考えられません。

(4)「さわる」は「障る」ではなくて「触る」でしょう。
 目が不自由な方々とのお付き合いがあるので、触読が常に意識にあるからです。

(5)「あとかたづけ」は「後片付け」でしょう。
 これは、このところ引っ越しの荷物を整理していて、段ボール箱のガムテープを剥がしては片付ける、という作業を繰り返しているので、それに関連するものなのかも知れません。そうだとすると、この前に置かれた「さわる」は足腰に「障る」意味であるとした方がいいのでしょうか。

 あまりにも不思議な思いに包まれていたので、あれこれとことば探しをし出しました。iPhone で検索しても、これに類した句や歌は見つかりません。
 私には「歌ごころ」というものがまったくありません。そうであっても、この一句が、短歌の上の句なのかもしれないとも思ったりしました。しかし、そもそも、自分が知りもしない、使いもしないことばを書き取ることなどあり得ないことです。
 神のことばが聞こえたとも考えられません。
 今も、なぜ夢の中でこのような詞章を聞いたのかがわからないのと共に、そのことばの意味もまったく思いつきません。
 こんな経験は初めてのことです。
 明日から、目覚める時を楽しみにしましょう。

 そういえば、夢の歌人と言われたあの小野小町が、次の歌を詠んでいました。

「うたたねに恋しき人を見てしより夢てふものは頼みそめてき」

 私の場合は、こんなにロマンチックなものではなさそうです。しかし、明日の夢を楽しみにするのは、期待するものが違うといっても、古来人間が楽しんできた一人遊びの一種だといえます。この歳になって、と思うと気恥ずかしいものの、これもまた日々の楽しさが加わったと思うと、おもしろくなってきます。
 こんなことがありました、という、たわいもない記録の一つとして書き記して置きます。
 
 
 
posted by genjiito at 20:51| Comment(0) | *回想追憶
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