2019年03月09日

ホンドル先生のご自宅で伺った興味の尽きないお話

 夜は、ホンドル先生のご自宅に招いていただきました。先生ご自慢のロールキャベツなどなど、しかも食の細い私のために、小さめで薄味のおかずを用意してくださいました。お気持ちともども、おいしくいただきました。

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 お食事をいただきながら、『源氏物語』のルーマニア語訳の仕事をなさった時の話をうかがいました。
 先生は、日本文学に関してルーマニアで最も著名な方です。最初の翻訳は近松門左衛門の作品からだった、とのことです。
 そんな話が始まってすぐに、私が見たこともない、まったく情報を持っていなかったルーマニア語訳『源氏物語』を見せてくださいました。このことは、一昨日の記事、「【速報】1969年版ルーマニア語訳『源氏物語』との出会い」(2019年03月08日)に書いた通りです。とにかく、感動的な『源氏物語』との出会いでした。
 その他にも、先生ご自身の訳ではないものとして、1986年のルーマニア語訳『落窪物語』、

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『枕草子』、

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『百人一首』、

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 そして、やはり一番時間をかけてうかがったのは、今回先生が刊行なさったルーマニア語訳『源氏物語』のことです。

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 表紙に『源氏物語団扇画帖』が使われていることについては、翻訳をする上で大いに役立ったのが『源氏物語 千年のかがやき 立川移転記念 特別展示図録』(国文学研究資料館編、2008年10月、思文閣出版)だったからだそうです。この本はすばらしい、とのことでした。そして、この本には非常に助けられたとも。

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 そこで、実はその本は私が編集責任者として2008年の源氏千年紀に作成したものです、と言うと、先生も驚いておられました。そして、いい本をありがとう、と感謝されました。お役に立てたことを嬉しく思います。

 さらには、上記の『落窪物語』、『枕草子』、『源氏物語』を頂戴することとなりました。私が取り組んでいる翻訳本プロジェクトに理解を寄せてくださったからでもあります。昨日の『源氏物語』ともども、多くの方々にこうした翻訳本を実際に手に取って見てもらえる環境を作ることと、次世代へと長く引き継いで伝えて行きたいと思います。

 長時間の面談で、話は際限なく広がりました。私はあまりの嬉しさに興奮気味だったこともあり、同行の保坂さんが後でメモを渡してくださいました。その保坂さんのメモを引きながら、思い出せる限りを記しておきます。
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■アンジェラ・ホンドル先生ご自宅訪問(2019.3.7/18:30〜21;30)


〇源氏物語の訳は2014年に始めた。トロントで『源氏物語』を翻訳しようと決意した。完成に2年8か月掛かった。(手書き原稿とプリントアウト原稿はそのまま先生の部屋に残っている。後掲写真参照)
○村上春樹の訳は、1200頁を3ヶ月で訳した。対して『源氏物語』は、1300頁を2年8ヶ月かかった。
○敬語のことで苦労した。
〇20数年前にサイデンステッカーの英訳を読んだ。今回の訳作業の開始に当たっては、谷崎訳、与謝野訳、円地文子訳を読み比べて、与謝野訳に決めた。決めた理由は、谷崎訳は男性訳で堅い感じ、と円地訳は漢字が多くて堅いと感じ、何れも雅な香りが幾分損なわれていると感じたから。(伊藤から、谷崎訳には、山田孝雄、玉上琢也が校正作業を手伝ったことが知られていると説明。)
○40章までしか訳していない。与謝野訳の第3部は原作と離れたところが多いことと、内容も、宮廷の話というよりは、恋の話に終始しているため。(これには、伊藤もその判断に賛同)
〇訳の作業に当たっては、タイラー訳、ウエイリー訳、末松訳も参照した。タイラー訳は、原作の香りを伝えていて良い訳だと思う。(サイデンステッカー訳は、今回は参照できなかった。娘がいるトロントにかなり書籍を送ってしまい、向こうにあるので。夏はトロントに行っている。)
〇和歌の訳は難しく、たまたま小学館の「古典文学全集」の寄贈を保坂さんから受けなかったら、作業を諦めていたかもしれない。
○タイラー訳は、和歌が私の好みとは違う。
〇作業手順は、手書きで訳を書き、更に手書きで訂正を入れた原稿を、コンピュータに入力した。

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○プリントアウトしたものは、西池万葉氏(現日本大使館政治担当書記官、この日に同席)に、主に和歌の部分を再度見てもらい訳を決めた。和歌の訳では、あまり説明調にならないように、ルーマニア語の響きを大切にする方針で作業した。(手伝った西池氏によると、和歌の訳の整定の部分では、かなり意見の対立があった由で、その調整に苦労。また、部分的には、日本で古文の先生をしている同級生に質問して情報を得ていた。夫も手伝ってくれた、とも。)

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○この話に出てくる手書きの原稿は、草稿から第4次の原稿まで残っている。

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〇日本語の勉強は、1972年に大使館の館員であった津島氏(後大使)が行っていたオープン日本語講座に参加したのが切っ掛け。その2年のコースを終えたのは自分一人だけであった。その後2年間日本で勉強する機会を得た。
○教え子の一人が秋田大学にいる。言語学専門。
○出版社からの依頼で翻訳することが多い。
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 ホンドル先生は、神楽、絵馬などの伝統的なものも訳しておられます。写真左端のプリントは、日本語訳のバージョンを作成するために準備なさっているものです。

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 話は尽きません。またの再会を約して、その日の夜はお別れをしました。
 階段まで、ずっと手を振って見送ってくださいました。
 
 
 
posted by genjiito at 14:54| Comment(0) | ◎国際交流
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