2019年02月13日

井上靖卒読(212)『星と祭 下』で書名への興味を抱く

 これまでに、この『星と祭』を何度読んだことか。10回はくだらないでしょう。もう、数えられなくなっています。
 最初は18歳の時でした。新聞小説として「朝日新聞」に連載された時に、その最初から毎日楽しみにして読んだものです。
 私は高校卒業後すぐに、親元を離れて上京しました。受験浪人の生活をしながら朝日新聞の配達をしていたのです。受け持ち区域の450部の新聞を配り終え、配達店の賄いの食事をしながら、毎朝楽しみにこの『星と祭』を読んでいました。333回続いた長編小説です。
 そして20歳。連載が終わるとすぐに、単行本として刊行されたのです。布張りのハードカバーの立派な本を、しっかりとした本の重みを手に感じながら読みました。ぺらぺらの新聞紙で小刻みに読んでいた時とはまったく違う、まさに読書を楽しんで読み通したのです。

 それからは、何かある毎に、折々に手に取って読んでいます。メモを頼りにして、それがいつといつといつだったのかを記したことがあります。ただしそのことを書いた記事は、残念ながらサーバーがクラッシュしたために、今は確認のしようがありません。いずれにしても、自分が苦しい立場の時や、気分を一新して歩み出そうとする時に、この作品を手にすることが多いのは確かです。満月と十一面観音が、天空へと誘ってくれるのです。

 昨年末に、この小説の前半を読んで、「井上靖卒読(211)『星と祭 上』の一節にまったく記憶がないこと」(2018年12月27日)という文章を書きました。
 そしてまた、その続きである下巻を持ち歩き、慌ただしい日々の中のちょっとした隙で、時間を忘れたかのように読んだのです。この作品には、ゆったりとした時間が流れています。

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 この小説は、ヒマラヤの麓の僧院で満月を見よう、という話で始まります。シルクロードがブームになる前のことです。
 主人公の架山洪太郎は、7年前に17歳だった娘みはるを琵琶湖で亡くしました。見知らぬ若者と一緒に、ボートの転覆事故で湖底に眠ることになったのです。生きていたら24歳。
 一度思い出すと、後妻との間に生まれた4つ下の光子の幸せな姿と被さり、辛い想いの中で死者としての娘との会話を楽しむのです。殯の期間に、生者として語れなかった思いを交わすのです。

 今回読んでいて、これまで無意識に読み流していたことがわかりました。それは、家族の想いが詳しく語られていたことです。登場人物の一人一人の想いが、丁寧に書いてあることに、あらためて気付かされました。長編小説によくあることとはいえ、自分の読みにあるムラというものを感じたのです。読んでいるその時の興味や関心に留まらず、人間や社会を見る目が歳と共に少しは養われたことによる、自分の読み手としてのレベルが、よくいえば上がったと言えるのではないでしょうか。

 人間は歳をとるとロマンチックになる、という話が出てきました(355頁)。納得です。これまで、こんなことが書かれていることに注意が向いていませんでした。小説は、歳相応なところで読者を立ち止まらせる、ということを感じています。

 この小説は、ヒマラヤで満月を見る、ということで始まりました。しかし、実際には山の天候が悪くて、雨の中を歩くことになりました。それでも、月はほんの少しだけであっても、夜空に照り輝いてくれました。

「月が出ますよ。早くいらっしゃい」
 岩代が報せて来た。
 戸外へ出てみると、カンテガの支稜の肩から、今まさに月は出ようとしていた。カンテガの支稜は雪がないので、真黒に見えているが、その肩の部分が際立って明るくなっている。やがて月が顔を出し始めた。
「五時五十五分」
 岩代が言った。月が完全にあがってしまうには何程もかからなかった。
「五時五十七分」
 二分で月はそのまるい姿全部を現わしたのであった。と同時に、右手のアマダブラムが霧の中から白い姿を現わし始めた。ほかの山は全く霧に包まれている。
 岩代も、伊原も、上松も、池野も、みんな黙って月を仰いでいた。申し合わせたようにズボンのポケットに両手を突込み、背をまるくして、月を仰いでいる。ヒマラヤの月を見るためにはるばるやって来、その月がいまあがり、それを仰いでいるのであるが、誰もひとことも口から出さなかった。暫くしてから、伊原が、
「とうとう出たな」
 と言った。それだけが、確かにその場に居る全部の者の正直な感懐であった。とうとう月は出たのである。(下、136頁)


 もしヒマラヤでの日々で、願いのままに月が見られたら、この小説の題名は『月と祭』になったのでしょうか? 井上靖のこれまでの作品から判断するに、『星と祭』の方がふさわしい気がします。井上靖は「星」が好きな作家だからです。
 この作品は、当初は『塔』と名付けられるはずだったようです。とすると、最初に設定した「ヒマラヤで満月を見る」ということが浮いてしまいます。また、物語の最後は、満月の晩に琵琶湖に船を出し、丸い月の下で亡き子を偲び、殯の期間が終わったことを自らに納得させようとします。〈祭〉はいいとして、ラストシーンは〈星〉ではありません。
 この書名について、これまで何度も読んだはずなのに、問題意識は生まれませんでした。次にまた読む時には、この書名のことを考えてみます。【5】
 
 
 
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | □井上卒読
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