2019年01月22日

2002年春にインドで書いた未公開日記(その6/第8週)

 私がインドのデリー大学へ客員教授として赴任していた2002年のことで、日々の記録が未整理のままだったものをまとめています。大学での様子や、インドでの日常生活をあるがままに記した日録です。
 前回の「2002年春にインドで書いた未公開日記(その5)」(2019年01月07日)が「第6週 02/10〜02/16」の項目の2月16日に該当するものでした。
 以下、今回の記事は、1週間飛んで「第8週 02/24〜03/02」の項目の2月24日の出来事の日録にあたるものです。「第7週 02/17〜02/23 / 何でもありのデリー市街では電柱から火の玉も飛び散る。」という項目は、すでに一旦公開しました。今は、サーバーがクラッシュしたために見られませんが。
 この第8週以降については、すでにクラッシュしたままのホームページでも、未公開のままだった部分です。インド滞在も後半となり、何かと大学の行事などが立て込んだために、メモもまばらで未整理状態です。適宜インドでのことを思い出しながら、再現していくつもりです。

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■2002.2.24■



 日本から、上人の友人の妹さんが来た。初めてのインドであるとか。インドで騙されることについて、いろいろな意見がでる。公共料金が選挙対策として安く押さえられているので、人を何とか誤魔化して稼がざるを得ない国情が、少し理解できるようになった。生きていくために、生活していくために、何とかして余分な収入がないと、やっていけないのである。それを、私たちは騙された、と解釈するが、彼らには彼らなりの事情があってやっているのである。家族と生活をするためにも。
 最近は、大使館から日本人の詐欺師がいるので気をつけるように、との通知が回っているそうだ。20代後半の女性で、日本から来た女性の旅行者に近づき、同じ旅行者のふりをして騙すそうである。カルカッタにもいたとか。女性なので安心してしまい、つい引っかかってしまうそうである。その人は、インド人の男かツーリストの人と一緒になっているので、二人で罠を仕掛けるのである。なかなか手がこんできたようだ。
 M1さんが、また来た。過日割ってしまったK4の呼び鈴を買ってきてくれた。コンノートプレイスで70ルピーだったのを、ネループレイスでは50ルピーだったと言って買ったそうだ。ありがたく売ってもらった。
 午前中、デリー郊外にあるヒンドゥー寺院群のチャッタルプルへ行く。近年できた、アミューズメントパークとでもいうべきお寺の集合地である。デリーの南端で、ハイソサエティーに属する人々が、ピクニックを兼ねて家族連れで訪れるようである。ゆったりとした敷地に、ディズニーランドかと思わせるような趣向が凝らされている。

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 まず、中心となるお寺の中に入る。とにかく広い。中では、サンスクリット語で古典の物語を語っていた。語り手のおじさんの前には、サンスクリット語で書かれた、大きくて分厚い本が置いてある。そのページを繰りながら、マイクを通して語るのである。大英図書館を初めとして、その他のヨーロッパの各地で、大きな本にきれいな装飾をしたものを何度か見かけた。あれは、飾り物の本ではなくて、実際にこのようにして使われるものであることを、今、目の前で見て、はじめて知った。
 南インドのお寺のゾーンで、家族連れで花壇の中で写真を撮っていた中の一人の少女が、突然柵越しにN2君にことばをかけてきた。一緒に写真を撮りたいとのことである。外国人と一緒に写真を撮ることなど、めったにないのだろう。家族と一緒にきれいな花畑の中でポーズを取って撮影している内に、テンションが上がったのではないだろうか。ご要望にお応えして、我々も赤い花のゲートをくぐり、柵の中の花壇に入った。家族のカメラに一緒に収まった。ついでと言っては何だが、我々のカメラでも一緒に撮影する。なかなか楽しいファミリーである。

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 隣のお寺の階段を、その子たちはケンケンをしながら登っていく。そのお寺の横には、無料宿泊所であろうか、ホテルのような部屋が続いていた。
 道を隔てたところにも、大きな寺院がある。ここも、広大な敷地の中にお寺が建っている。最初のお寺では、大きなリンガを祭っていた。お寺の周りを一周したときに、ちょうど裏の庭園に向かって、電気のコンセントにコードの端を剥いたものを二本突き刺して電気を引いているのを見つけた。こんなにすばらしい寺で、大胆な電気の引き回しである。

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 その横の建物では、お寺の人が住んでいるのであろうか、2階から洗濯の水を流すホースを地面に垂らし、それを直接下水に流しているのを見かけた。何とも、こうしたやり方のアンバランスさに、ほとほと感心した。

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 さらに横の公園には、なんとキリンの作り物があるのだ。インドにキリンなど、いようはずがない。何を考えているのか。しかも、子どもがそのキリンの置物の背中によじ登っている。すぐお寺の人が来て、「コラクソボウズ、ハヤクオリンカイ」とヒンドゥー語で叫んでいる。

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 キリンの前は、きれいな花壇になっており、その敷地内に赤く塗られた大きな猿のハヌマーン像が建っている。ここだけが、未完成のところであった。

 オートリクシャーで、これまたインドでは最高級ショッピングセンターであるアンサルプラザへ行く。今日は、上流階級の人が行動するパターンの行程をシュミレートしている。このアンサルプラザは、まさに日本の大都会の中のショッピングセンターにひけをとらないものである。インドでは考えられないほどの、とにかく超現代的なショッピングゾーンである。

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 こういうところがインドにあることも、しっかり見ておく必要性を痛感する。少しずつ消えようとしている昔からのものばかりを見て、それが本当のインドだと思うのは、ある種の偏った見方であると思う。これから変わろうとしている新しい部分と、これまでの古い部分の両方を見て初めて、インドを見たことになる。インドの貧しさや汚さだけでなく、豊かさや綺麗な面も、しっかりと見たいのである。
 このアンサルプラザは、商品も日本の若者向けのショッピングモールと同じだし、値段も日本と違わない。インドの人の収入からすると、目が飛び出る以上にボトリと落っこちてしまうほどの高額商品が並んでいる。
 子どもがテニスをしているので、テニスショップへ寄ってみた。日本とまったく同じ値段で、同じ展示方法でラケットを売っている。ここへ足を踏み入れたインドの人は、最初は大きなカルチャーショックを受けることだろう。しかし、二度三度と足を運ぶ内に、こうした異文化に対する違和感と価値観を、しだいに軌道修正していくはずである。我々も、そのようにして欧米の文化を取り入れたはずである。このインドの新しい流れは、恐らく急速に新たなものの見方を生み出していくことであろう。数年後、いや10年後には今とはまったく違ったインドがあるはずである。もちろん、これまでのインドも生き続ける。しかし、旧来のインドの見方では括れないインドがあるはずである。そんな胎動を、今日、自分の目で確認することが出来た。この国は、これからも楽しみが多いと確信した。
 昼食は、マグドナルドが若者たちで満席だったので、2階の奥まった目立たないところにあった、ネッスルの軽食屋さんで済ませた。インド風のホットドックなどを食べた。

 次は、これまた若者たちを中心に豊かな生活を心がけている人々が集まる、サウスエクテンションというエリアへ、それも徒歩で行く。歩いて7、8分の距離である。自家用車やタクシーで行かないところが、本当のリッチな人間でない証拠である。
 ここも、たくさんの人で賑わっている。私は、革製のステーショナリー三点セットを買った。以前から日本でもほしかったが、狙っていたものがここにあったのである。値段は日本より少し安い程度だが、作りが丁寧で気品があったので、思い切って購入した。そして今、このステーショナリを机上に置いて、このメモを認めている。
 今日は、ここがインドであることを完全に忘れてしまっている。これもインドの新しい一面である。バックパッカーよろしく、薄汚れた安宿に居を構え、ヨレヨレの服に身を包み、埃とゴミだらけの地道を選んで歩き、はたまたサイクルリキシャと値段のことで口論を繰り返し、2ルピーとか5ルピーとかの食事をするのも、ハングリーなインド旅行であることには違いない。しかし、それだけではないのがインドであることも、これからは知っておく必要がある。そうでないと、前向き思考のインドの人たちに、大変失礼であると思う。
 そして本日の締めくくりは、これまた私には行きつけとなっている、グレートカイラーシュのMブロック。これは、サウスエクテンションをこぢんまりさせたところである。お店の数も適当で、ほとんどのものがここで入手できる。高級住宅地を背景に成り立つ、高級商店街である。これもインドであることを実感して、こうして、今日のハイソサエティーコースは、無事に終了した。

 お寺に帰ると、すぐに近所のマーケットで、いつものジュース屋さんでフルーツジュースを飲んだ。最後の仕上げがこのジュース屋さんであるところが、庶民の落ち着く先である。
 部屋に帰ろうとすると、M1さんとK2さん、そして外大の二年生の男性がいて、しばし歓談。ネルー大学の日本語学科長であるT4先生の電話番号を聞く。明日の行き先を確認するために。いまだに電話がないので、不安になっているところである。
 夕方、T2先生が顔を見せに来られた。今デリーに来たとのこと。刊行されたばかりのベトナムの本をいただく。精力的に活動されている。今月末までは、いつものIICに泊まられるとのこと。27日の講演会は、まだ場所も時間も先生自身が聞いていない、とのことだった。これも、のんびりしたことである。
 夕食後、やはりネルー大学の先生から電話がないので、こちらから電話をした。ところが、お手伝いさんが出てヒンディー語しかしゃべらないので、すぐにN2君にかわったもらった。どうやら、今日は帰らないとのこと。なんとも、無責任な話である。
 しょうがないので、懸案のデリー大学とネルー大学との対抗戦としての『百人一首』のカルタ大会は、ここWBCのスタッフとデリー大学の学生との、和やかな交歓会として催した方がいいのでは、というN2君の提案を受けた。すぐに上人に相談し、その方向で考えることにした。そうすれば、無為なデリー大学とネルー大学の対抗意識に悩むことなく、本当に気心の知れた仲間での、日印親睦の会となるのである。
 後は、I1先生の講演会を無事に成功させることに専念することである。
 体重を量った。55キロを少し切る程度で、日本にいたときとまったく一緒である。規則正しく健康的な生活をしている証拠である。
 
 
 
posted by genjiito at 20:13| Comment(0) | ◎国際交流
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