2019年01月16日

2002年春にインドで書いた未公開日記(その4)

 私がインドのデリー大学へ客員教授として赴任していた2002年のことで、日々の記録が未整理のままだったものをまとめています。大学での様子や、インドでの日常生活をあるがままに記した日録です。
 前回の「2002年春にインドで書いた未公開日記(その3)」(2019年01月07日)が「第6週 02/10〜02/16」の項目の2月14日に該当するものでした。
 以下、それに続く2月15日の出来事の記録です。
 
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■2002.2.15■



 K4君が昨日買ったショールを忘れたことから、N2君と血液型の話で盛り上がる。B型の典型であるK4君について、いろんな話が展開した。
 インドの映画音楽を聴きながら仕事をしていたら、G4さんが来て、日本に送る荷物を見せてくれとのこと。そして、すぐに麻布を持ち出して、それで包んで糸で縫い出した。

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 マジックで裏表に住所を書き、車でいくことになる。出口でオートバイを見ていたら、これで行こう、ということになった。意外な展開に驚いた。おもしろそうなので乗る。シートにあったベルトをしっかりと摑んでいた。とにかく車が多い中をすれすれに走るので、紐が切れたらもう終わりだと観念しながら乗っていた。
 無事に郵便局に着く。とにかく、こちらの人は我先に郵便物を差し出し、やってくれと言っている。G4さんも、周りを無視して差し出している。押しがないと、このインドでは生きて行けそうもない。途中で、「AIR MAIL」「SPEED POST」という単語を書き加えた。乱暴な扱いで処理をする局員。奥には、日本と同じように、仕切られたボックスに郵便物を仕分けしている。窓口の局員は、コンパックのコンピュータと、バーコードリーダーで処理をしていく。700グラム弱の小荷物が、588ルピーだった。スピードポストの場合は少し高いが、別の用紙にパスポート番号などを書く必要がないので便利だ。
 裏口から入って、郵便物に貼られた切手の部分にスタンプを一つずつ押す風景を見た。かつての日本もこうだった。向こうに、機械でスタンプを押すものがあった。もっとも、壊れているそうである。それにしても、その機械も日本で言えば、戦前の雰囲気が漂うミシンみたいなものだった。私書箱もあった。
 またオートバイで帰る。怖さは薄らいだ。それにしても運転が大胆である。これで事故が少ないのだから、大した国である。
 調理場でチャイを作ってもらいながら、お寺の人と話す。部屋の湯沸かし器が壊れている話になり、さっそく電話をしてくれた。
 G4さんにタンカの話を聞いているときに、N2君が降りてきた。タンカは、軸の中心がずれていないかを見るといいそうだ。先日行った、お正月でお休みだったニュー・チベタン・コロニーのものは、アクリル絵の具を使っているが、あれは本物だそうだ。そして、目の前にあるものは、岩絵の具で、観光みやげ用に作られたものだそうだ。いいものをさがして、G4さんに魂を入れてもらおうという話で沸いた。
 私の部屋で、N2君のノートパソコンのパスワードを確認しているうちに、私の物も起動後にパスワードを入れずに、キャンセルキーを押しても、何ら支障なく使えることがわかった。今まで丁寧にパスワードに答えていたのは何だったのだろうか。これだから、Windowsは信用できない。
 昼食後、N2君とホームページの文章や彼の論文のコピーをしている時に、修理の電器屋さんが来た。私が画像などの確認をしていると、電器屋さんも興味深そうに見に来た。
 痴漢やメディアビジョンや大学教授の差別のページの話で盛り上がり、またまた話し込む。
 3時過ぎから、メールをチェックする。もう、ヤフーのウエブメール一本にすることにした。転送処理を終え、テストもオーケー。I1先生から、書類の催促のメールが届いていた。こうしたことの間に入るのは、何かと大変である。でも、何とかしなければ。誠意をもって対応しよう。学位に関する会議で、今月は通過したとのこと。もう少しである。
 5時半に、奈良に電話。K4は、デリー空港でスーツケースのトラブルに巻き込まれたそうだ。覚えたてのヒンディー語でしゃべりだしたとか。
 顛末はこうだ。タクシーが空港に到着して、運転手さんにスーツケースを下ろしてもらったところ、すぐに男がやってきて空港の入口の方に運ぶのを手伝い出したという。運転手さんはツーリストの人が手伝っていると思っていたのではないかとのこと。その男は、キャリヤーにスーツケースを乗せてドンドン押して進んでいくので、K4はようやくおかしいと思い、返してくれと言ったそうだ。すると、お金を出せと言う。いつもの通り、10ルピーを出すと、ダメだという。もう1ルピーを出してもだめ。そこで、日本の千円札を見せて、これ一枚しかないというと、それをかっさらって逃げたそうだ。それしかないからと言っても、そんなことは知らんと言って行ってしまったそうだ。千円はインドのお金に換算すると300ルピーだ。悔しがっているようだ。
 今日は早めにシャワーを浴びてスッキリする。
 食事の時に、N2君にK4の千円事件の話をする。最近は聞いたことがないと言っていた。
 食後、N10さんとN11さんとN2君の四人で、近所の結婚式に行く。ネルー大学の先生からの電話を待っていたが、後でまたかけてもらうようにG4さんにお願いして、大急ぎで出かける。

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 N2君はネクタイ姿、私はブレザーを着て、少し関係者らしくみせることにした。花火を揚げたり、楽団の演奏やら馬車の行進やらで大にぎわい。いつもは公園になっているところにテントを張り、2千人くらいの規模の結婚式である。費用はすべて花嫁側が負担するそうだ。

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 夕食に間に合わなかったN11さんは、近所でテイクアウトのピザを買ってきていた。しかし、ここで夕食を済ませると言って、たくさん食べていた。私は、果物とアイスクリームとコーヒーをもらう。結婚式とは関係ない子どもや、リクシャの運転手たちも大勢がかけつけていて、たらふく食べている。これはこれで、金持ちの慈善事業の一つとして見ると意義があるかもしれない。もっとも、女性側にとっては、何かと悲しい日だとか。花婿側はどんちゃん騒ぎをし、花嫁側は家族共々悲しみの風を装うのが通例だそうだ。これは夜中まで続き、花嫁の登場は11時ころだとのことなので、適当に切り上げて帰った。
 夜11時過ぎに、お寺のベランダの下を、花婿側の馬車が大騒ぎをして通った。

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 最後尾の花婿の馬車は、すぐ後ろにいる発動機を搭載した車が、ライトを煌々と照らしていた。音と光の一大スペクタクルといいたくなるほど、派手な演出である。当人たちはともかく、周りはこれ幸いとストレス発散、といった趣でもある。地域の人が、総出で食事にありつけるのは、なにはともあれいいことだと思った。

 
 
 
posted by genjiito at 20:20| Comment(0) | ◎国際交流
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