昭和5年12月の東京銀座で物語が始まります。
満洲帰りの柳生三郎を探し出してくれと、怪美人の堀越奈々子がアメリカ帰りの的矢健太郎秘密探偵事務所に来ました。的矢は、深川生まれの深川育ちです。作中に門前仲町が時折出てきます。かつて私が8年間住んでいた地域なので、懐かしさを感じながら読みました。
人間関係の縺れ具合が、複雑に綯い交ぜになって行きます。この点は、その巧拙はともかく、藤田の技巧的な話の作り方です。
挿絵画家の名前として、高畠華宵と鮎貝華人の名前が出ます(文庫版、70頁)。そして、実業之日本社の石山という人が原稿を受け取りに来ます(99頁)。池田亀鑑のことを調べていた時に、高畠や実業之日本社のことを調査したので、これらの人物が事実と符合するのか興味があります。
また、「再来年のオリンピックに出場してもいいくらいのスピードで逃げ切ったよ。」(128頁)とあります。昭和初期に東京市で開催される予定だった第12回夏季オリンピックは、1940年(昭和15年、皇紀2600年)です。ただし、これは支那事変のために中止となりました。ここで、昭和5年時点から「再来年」とあることとどう関係するのか、時代背景に疑問が残ります。
次の引用文は、手紙がバラバラに千切られてゴミ箱に捨てられていたものを復元した場面です。男の漢字交じりの文はすぐに元どおりにできました。しかし、女の手紙は手間取ったというのです。一字一音を表記する、平仮名が持つ特性がよくわかる例となっています。
添衛門とふたりで、もう一通の手紙の復元に取りかかる。こちらのほうにはことの外時間がかかった。
女からの手紙で、例の件で至急お会いしたい、とあった。そして、待ち合わせの時と場所が記されていた。短い手紙だが判読に時間がかかったのは、ほとんど平仮名で書かれていたからである。(145頁)
昭和5年当時の日常生活における、通信環境がよくわかる場面も出てきます。
「用があったら、電話……。あんたのとこには電話はあるか」
「そんなもんありゃしませんよ」
「じゃ、なにかあったら電報を打つよ。さあ、家まで送ろう」(146頁)
私が16歳だった高校一年生の頃(昭和45年)と変わりません。もっとも、40年の時の開きに少し疑問が残りますが。
と、ここまでは昭和レトロを探しながら読み進んで来ました。昭和初期の社会や文化を楽しみながら、的矢探偵の推理と活劇を期待していたので、上記のようなことに気が留まりました。
しかし、これから後の3分の2がおもしろくありません。肝心の物語の中身が、私には興ざめでした。そのため、残り半分以上を読み飛ばすことになりました。藤田宜永の作品は、こうしたことがよくあるのです。どの辺りまでまじめに楽しんで読み、それからはとにかく流して最後まで付き合うか、という思案のしどころがあります。今回は3分の1でその流し読みの決断をしました。【1】
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