2018年12月27日

井上靖卒読(211)『星と祭 上』の一節にまったく記憶がないこと

 今、私が大好きな井上靖の『星と祭』を読んでいます。まずは2冊本の「上」を読み終えました。

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 これまで、折々に何回となく読んで来た小説です。もう、10回近く読んでいるはずです。それなのに、不思議なことに、毎回アレッと思う発見があります。
 主人公である架山洪太郎の先妻との娘が、琵琶湖でボートの転覆事故で亡くなった後の場面で、こんなことが語られています。

 その七年間の架山にとって、はっきりしていることは、湖というものが、架山にとって特殊なものになったことである。事件の起った琵琶湖はもちろんのことであるが、そればかりでなく、なべて湖と名のつく一切のものが、架山にとっては特殊なものになったのであった。湖という文字も、なんでもない単なる湖の風景写真も、無心に眺めることはできなかった。
 一番困るのは旅行の時であった。仕事の関係で、月に一回や二回は関西へ行かねばならなかったが、いつも関ケ原を過ぎる辺りから、心は落着かなかった。なんとも言えぬ辛い思いが心に立ち籠めて来た。列車が琵琶湖の湖畔を走っている間、架山は湖の置かれてある窓の方へ顔を向けなかった。そこにみはるの奥つ城があると考えれば、それで自分の心を落着かせることができそうに思われるのであったが、なかなかそういうわけにはいかなかった。(193〜194頁、角川文庫、上、平成19年10月、改版初版)


 その後は、仕事で北海道のみならず、イタリアからスイスに入る時のレマン湖、ロシアのイルクーツクでのバイカル湖、などでの辛い体験が綴られています。
 主人公が、琵琶湖を見たくなかったということが語られていたことは、よく覚えています。しかし、その具体例として北海道、イタリア、ロシアでの湖との出会いの話がこの『星と祭』にあったことは、まったく私の記憶にありません。自分の興味と関心だけで読んでいた、ということのようです。
 このくだりの後は、琵琶湖の湖底にいる娘みはると、死者との会話をする場面となります。そして、国文学研究者の殯(もがり、仮葬)に関する論文の紹介となります。このあたりは、何度も読み返したことを鮮明に覚えています。それなのに、その直前に語られている各地の湖での体験は、私の記憶のどこにも残っていないのです。
 本を読む、ということはどういう行為なのでしょうか。読んだ覚えがない場面があるというのは、どういうことなのでしょうか。一度読んだきりのものであれば、それは仕方のないことでしょう。しかし、この『星と祭』は、私にとっては18歳の時に出会った思い出深い本であり、人生の曲がり角に差し掛かると、いつも手にして元気をもらう小説です。
 何とも不思議なことです。
 本の読み方の一例として、この体験も恥ずかしながらそのままに記し残しておきます。
 
 
 
posted by genjiito at 20:38| Comment(0) | □井上卒読
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