2018年10月22日

点字ブロックは本当に視覚障害者のための物でしょうか

 先週の「第7回 日本盲教育史研究会」では、多くの方々とお話ができました。その中の一つの話題として、点字ブロックについて盛り上がりました。点字ブロックはいらない、という意見が目の見えない方々からいくつも出たのです。
 私も、あの点字ブロックに理解はできても、内心では邪魔だと思っていることを素直に語りました。同感だと言う方からは、批判されることを覚悟でも、そのことをブログに書いて問題提起をしたらいい、とかえって励まされました。視覚障害者の中にも、いろいろな考え方があるので、その意味でも大事な検討課題の提供になるはずだ、ということでした。

 なお、この日本盲教育史研究会では、本年6月30日に「第6回ミニ研修会 in 岡山」が開催されました。その時のテーマとその案内文は、以下のものでした。

岡山市内でのフィールドワークを中心に
―― 点字ブロック発祥の地を訪ねる ――

 岡山でミニ研修会を開催する運びとなりました。第6回となる今回は、点字ブロック開発から半世紀を経た今、市内にある発祥の地記念碑を訪ねて開発者三宅精一氏の思いに触れます。講師はともに岡山盲学校で教鞭をとられ、現在は盲教育史の研究、点字ブロックの普及活動に携わっているお二人です。
 点字ブロックから岡山における視覚障害教育に視野を広げて、現地だからこそ聞ける講話をお願いしました。皆様のご参加をお待ちしています。


 そして、その研究会の内容は、次のような興味深いものでした。

 第1部 講話
  「50年を迎えた点字ブロックと、岡山における視覚障害教育」
     講師 河田 正興 氏(元県立岡山盲学校校長)
        竹内 昌彦 氏(岡山ライトハウス理事長)
第2部 フィールドワークとレクチャー
  原尾島交差点 点字ブロック発祥の地記念碑 周辺


 しかし、当日はちょうど鳥取県で「第7回 池田亀鑑賞」の授賞式があり、近くにいながらも、私はこの賞の選考委員長をしていた関係で、この岡山での研究会には欠席しました。
 その研究会でのプログラムは、まさに点字ブロックのことがテーマとなっていたのです。

 この時の内容については、『視覚障害 bR63』(視覚障害者支援総合センター、2018年8月号)に、「岡山から世界へ 点字ブロック発祥の地でミニ研修会」と題して報告が掲載されています。

 今日のこの記事は、このような背景のもとでの点字ブロックに関する問題提起なので、専門外という立場からは発言しにくいのは事実です。しかし、先週いただいた参加者からのアドバイスを頼りに、あえてこの場に問題点を提示し、批判に晒されようと思います。
 暴論だと一笑に付さずに、ご意見をお寄せいただけると幸いです。

 なお、最近の私のブログでは、「読書雑記(240)伊藤亜紗『目の見えない人は世界をどう見ているのか』」(2018年10月04日)の最初に、点字ブロックのことに少し触れています。

 また、点字ブロックについては、これまでにも何度も話題にしてきました。海外での街中での様子も折々に記しています。

 今夏、ボストンに行った時には、ハーバード大学周辺で見かけた点字ブロックについて、「ハーバードでの初日に日本と同じ月を見る」(2018年08月27日)で取り上げました。日本のように、これでもかと敷き詰めるのではなく、信号のある交差点のそばだけに、ほんの一部に部分的にありました。

 このことは、同じ8月に行ったペルーのリマでも同じでした。
 感想としては、日本のように障害のある方々に至れり尽くせりを心がけてはいないようです。どこまで目が見えない方のことを思って設置したのかが、疑問に思える数々も記録しています。

「2冊のスペイン語訳『枕草子』と出会う」(2018年08月09日)

「リマの旧市街セントロで視覚障害者の歌を聞く」(2018年08月11日)

 もちろん、リマにもメインストリートには点字ブロックが敷き詰められた道が1箇所だけありました。

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 さらに遡ると、こんなにも何度もこの点字ブロックのことを書いて来ていました。

「空を飛ぶ4輪のキャリーバッグ」(2017年04月25日)

「最適な4輪式キャリーバッグとの出会いと点字ブロックの今後」(2016年10月16日)

「駅のホームドア設置と「ホーム縁端警告ブロック」」(2016年08月20日)

「インド・デリーの点字ブロックなどには要注意」(2016年02月25日)

「デリーの盲学校で立体コピーに挑戦してもらう」(2016年02月18日)

 すでに何度も書いてきたように、私はこの点字ブロックは正直言って邪魔に思う時がよくあります。もちろん、目が見えない方々の道しるべの役割を果たすべく敷き詰められていることは充分に承知しています。しかし、キャリーバッグを引いている時には、そのブロックを避けながら前進するのが大変です。また、つまずきそうになるので、ブロックを避けながら歩きます。上記の記事にも、足の裏は予想外に敏感で、地面の凸凹を感じ取っているわけです。しかし、それだけに、点字ブロックが至るところに敷き詰められていると歩きにくいのも事実です。

 先週、研究会が終わってから点字ブロックについて話をしていた時、目の見えない方から次のような不要論とでもいうべき意見を伺いました。

(1)あらかじめ敷き詰められたブロックの上を歩けと、強制的に指示されることが嫌だ。
(2)道の状況に応じて、自分の判断を信じて自由に歩きたい。
(3)見えないので足を高く上げて歩けない。自ずと摺り足に近い状態で歩いていると、点字ブロックの凹凸でつまずいて転びそうになる。そのため、わざと点字ブロックを避けて歩いている。白杖を器用に操作して、折角の好意の産物を申し訳ないと思いながらも、避けながら歩いている。
(4)近所の交差点に信号機をお願いしたら、頼みもしないのに点字ブロックを長々と敷き詰められていたのには驚いた。補助金行政における役所の点数稼ぎに利用された思いがしたのは、思い過ごしか。
(5)キャリーバッグを引いていると、ガタガタと揺れて、キャスターの向きをコントロールできなくなることがよくある。凸凹の点字ブロックが障害物になっている。
(6)点字ブロックの周辺に放置されている自転車によくぶつかる。
(7)点字ブロックが敷かれた一列の狭い一本道は、前方から来る白杖の方と正面衝突せざるをえない事態をも引き起こすことがある。実際にぶつかることが何度もあった。
(8)点字ブロックの上に荷物が置かれていてぶつかった経験は、最近はあまりない。それでも、ブロックの上に物が置かれていて、ぶつかって転んだことはある。駅のホームの端が一番怖い。

 こうした話を聞いていて、私は良かれと思っての好意からとは言え、善意の押し付けの状況になっていることも事実ではないのか、との思いを強くしました。

 現在、毎週大阪市内に出かけます。地下鉄谷町線「文の里」駅の改札口に向かうところには、こんな状態で点字ブロックが敷き詰められています。

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 完璧をよしとする日本的な発想のもとで、美的なセンスも盛り込んでの設置のようです。ただし、微妙に曲がったラインは、どのような意味でなされたものなのか、今の私には理解が届きません。

 日本の現状は、とにかく網羅的に敷設することで徹底しています。日本では、補助金や仕事を発生させる意味からも、むやみやたらと点字ブロックを置いているのではないか、と思えるほどです。私は、点字ブロックは通行人に対しては迷惑なシロモノなのではないか、と思っています。これまでに、このブログで何度か書いてきた通りです。また、至る所に貼られている点字も、果たして街中に必要なのか、はなはだ疑問に思っています。点字が読めるのは、視覚障害者の一割である、という事実を知ってからは、その疑問が増幅しています。

 行政側は、いかにも障害者対策をしていますよ、というポーズを住民に効果的に示す意味で、積極的に障害者のためというお題目の下に、点字ブロックの敷設や点字の添付活動を導入しています。しかし、これには、効果的な税金の使われ方ではなくて、かえって無駄遣いの部分も大きいのではないか、と思っています。もっと有効な税金の使い方があるはずなのに、お役所は理解を示しているふりをするために、無意味な支出がなされているように思えてなりません。

 善良ぶっておられる方からは、上記の発言は許しがたいものだとお叱りを受けるでしょう。しかし、点字ブロックや点字シールに感謝しておられる方がいらっしゃることを知りつつも、そうではない方もいらっしゃることを考えるべき時期にある、ということが言いたいのです。

 あえて街中に障害物競争をさせるようなものを置いて、言葉を変えれば視覚障害者いじめをすることはないと思います。多分に挑発的な発言を、意識して書いています。

 目が見える私は、あの点字ブロックにつまずきそうになったことがあると共に、キャスター付きのバッグを引いている時に、一々あのブロックの凹凸でキャスターをガタガタさせないために、ヨイショと持ち上げるのが面倒に思っています。キャスターも早く壊れますし。

 最近は、駅はもとより、街中の至る所に点字ブロックが敷き詰められるようになりました。旅行者の多くが、あの凸凹に難渋させれているように思います。京都の街中では、日々実感しています。多くの方に我慢を強いるあの点字ブロックが、目が見えない方々との円滑なコミュニケーションを阻害するものになりつつあるのではないのか、と思います。多くの方々が疎ましく思っていてもなかなかそれを言いづらい現代日本の社会の中で、私はあえて取り去る勇気を持ってほしいと願い、この記事を書きました。
 
 
 
posted by genjiito at 23:45| Comment(0) | ■視覚障害
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