2018年11月01日

清張全集復読(25)「佐渡流人行」「賞」「地方紙を買う女」

■「佐渡流人行」
 佐渡金山に役人として行くことになった黒塚喜助は、妻と気持ちを通じていると邪推する弥十郎を嫉妬しています。微罪で投獄した後は、出るとすぐに金山の佐渡送りで苦しめます。そうして、妻のくみをじわじわと虐めて愉しむのでした。
 佐渡では、人の世の底を這いずり回るようにしか生きられない男が描かれます。清張自身の苦労の体験が語らせるのでしょう。
 話の後半は、その意外性において秀逸です。【5】
 
初出誌:『オール讀物』(1957年1月)
 
※『松本清張全集 36』(文藝春秋社、1973.2.20)の巻末に収載されている著者自身による「あとがき」には次のようにあります。「作家は絶えず旅をするべきである」と言う、清張が小説の取材を重視している背景がわかる好例です。
 「佐渡流人行」は、「山師」を書いたときから考えていた構想で、上石神井の新居に越してからまもなく書いた。このときは流人の水替作業の実際がわからず、やはり現地に行って見なければと思って三十一年秋に佐渡の相川まで渡った。一つは、発表雑誌の『オール讀物』が相当なページを割いてくれると云ったからだ。秋の初めで、佐渡は観光シーズンが過ぎていたが、土地の郷土史家の好意で旧金山址を隈なく案内してもらった。その晩、土地の民謡保存会の"立浪会"の佐渡おけさや、相川音頭の踊りを見たが、会場の夜寒が未だに忘れられない。そのころは、土地の人ももちろん私の名前も知っていなくて、どういう小説をお書きですか、などときかれたものだ。
 佐渡から帰っても、今度はもっと関係文献を読みたいと思ったが、適当なものはなかった。たまたま麓三郎氏の『佐渡金銀山史話』が出版されたのを知って、さっそく読んで、大いに助かった。それで、世田谷の奥に著者麓氏をたずね、さらに氏の話を聞いたりした。麓氏は長いこと住友鉱業の技師をされた方である。私も閑だったから、調査には充分に時間をかけることができた。
 あとで、当時『週刊朝日』の編集長だった扇谷正造氏が麓氏から私のことを聞いたらしく、何かでその取材ぶりをほめてくれたが、右の本の出版が偶然私の知りたい知識を充たしてくれ、それが幸いしたのである。
 九州に四十年間も過ごした私にとっては、佐渡に行けるとは夢にも思っていなかった。夜汽車で新潟に着き、埠頭から"佐渡おけさ〃のレコードの伴奏に送られ、二時間にして両津の港に着いたとき、実際、はるばるとここまでやってきたものだという感慨に浸った。
 後年「小説日本芸譚」の中で世阿弥を書いたが、この佐渡行が別な意味で役にたとうとは思わなかった。「作家は絶えず旅をすべきである」というサマセット・モームの言葉を、しみじみと味わい噛んでいる。(545頁)

 
 
■「賞」
 昭和初期に、三十代で『古社寺願文の研究』で学士院賞を取った粕谷侃陸の変人ぶりが語られます。地方に押しかけて講演をしていたのです。鑑定料を無理強いすることも。身の丈に合わない賞をもらったために生まれた悲劇です。
 この哀れな学者を追い続けた語り手は、賞というものが受賞者の人間性を変えるものであることを伝えようとしています。【4】
 
初出誌:『新潮』(1957年1月)
 
※『松本清張事典 決定版』(郷原宏、角川学芸出版、平成17年4月)には、次のように記されています。
若くして実力以上の賞を貰った男の老残落魄の生を描いて鬼気迫る秀作。(84頁)

 
 
■「地方紙を買う女」
 これから何が起こるのだろう、ということを感じさせる語り出しです。そして、バーの女給と小説家が、お互いの心の中を読み合うのです。読んでいて、緊張の連続です。その結末も。
 この作品は映画になりました。私は2度観ました。そしてこの作品は、まず活字で読み、清張の巧みな言葉で小説の醍醐味を味わってから、映像でそのさらなる五感に訴える快感に浸るのがいいと思いました。【3】
 
初出誌:『小説新潮』(1957年4月)
 
 
 
posted by genjiito at 20:07| Comment(0) | □清張復読
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