2018年09月21日

学校での試験について思いを巡らす

 今日は高校で模擬試験があり、その試験監督を割り振られたので行って来ました。
 60分間の机間巡視をしながら、50年前の自分を思い出しました。

 定期試験なら、あらかじめ授業を振り返ってノートを見直したり復習するなり、手の打ちようがあります。試験結果からも、授業の何が重要で、何がわからなかったのかがわかります。しかし、模擬試験は出題範囲が茫漠としていてわからないので、出たとこ勝負です。その結果から自分の実力を知ることになると言われても、勢い、取り組む意欲は半減します。本番の試験を疑似体験するものであり、力試しが趣旨の試験なので、それでいいのです。私は座学が嫌いだったし、成績も思わしくなかったので、やらされることをしていただけでした。

 それ以前に私は、物事には正解などはない、ということを当時から思っていました。というよりも、そのようなことをおっしゃった中学時代の先生の言葉が身に染み込んでいました。その先生からは、教科書の背中を割って、今必要な部分だけを切り取って授業に持ち込む、ということを教えていただきました。この癖は、今も本をバラバラにして持ち歩いたり保管しているので、大きな影響を受けた先生だったと言えるでしょう。

 試験では、記述問題は好きでした。しかし、選択問題は出題者は大変だなぁーと思いながら、答えの組み合わせや、消去法の訓練に頭を悩ませ、戸惑うばかりでした。正解があることを前提にして成り立っているのが、学校での試験です。あれこれ迷って何がしかの回答を出す特訓をしているのだと思って、こうした試験を受けて来ました。

 私の両親は、勉強しろとは言いませんでした。高校時代は私がテニスばかりしていたので、母親は成績不振者を対象とする呼び出しを何度も受け、天王寺にある高校に来ていました。そのことで両親からは何も言われなかったので、担任の先生から何を言われようが、親は私を信頼してくれていたと思います。
 そんなことも影響してか、私は子供たちに勉強しろと言った覚えもないし、成績がどうだったのかまったく知りません。子どもの成績には無頓着でした。もちろん、誰も塾に行きませんでした。行けとも、行くかとも聞かなかったからかもしれません。

 今日の模擬試験は、すべての問題が四者択一のマークシート方式でした。相変わらず悩ましいことを生徒たちがさせられていることを知り、仕方のないこととはいえ、耐えてほしいと思いました。私は、試験は格闘技だと思っています。ひたすら耐えれば、勝機やチャンスは訪れるはずだからです。
 そういえば勤務する大学の入学試験も、すべての問題がマークシートだったことを思い出しました。そのような出題にしている事情や背景がわかっているので、高校生が受けている模擬試験について、何も言えなくなります。

 いずれにしても、試験で人間の能力や学力は測れないと知りつつも、他に代わる方法がないので、先達がやってきたことそのままに、惰性としてやっているのです。儀式と割り切るしかありません。それで自分が持っている知の力量が測られている、などと思わないことです。そんなモノサシで測られることに縛られることなく、興味のあることにのめり込んでいってほしいものです。

 試験監督は1時間だけでよかったので、早々にのんびりと梅田を散策しながら帰りました。
 四条烏丸で、8月下旬にできたアップルストアに立ち寄りました。大丸百貨店の東隣です。

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 行燈をイメージした外観だと聞いていました。そういわれたらそうかな、という感じです。
 店の前には、今日発売のiPhoneやApple Watchを買い求める人が、長蛇の列をなしていました。実は、私もApple Watchを買おうかな、と思っていました。初代のApple Watchは、妻と共に購入しました。しかし、未熟な製品だったので、2ヶ月ももちませんでした。以来、このApple Watchには手を出していません。しかし、今回のApple Watch4は、これまでとは違うようです。ただし、この長い列を見て諦めました。今日は縁がなかったということにして、また機会があれば手に入れるチャンスを窺うことにします。
 
 
 
posted by genjiito at 20:55| Comment(0) | *身辺雑記
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