2018年09月29日

読書雑記(237)中島岳志『保守と大東亜戦争』

 『保守と大東亜戦争』(中島岳志、集英社新書、2018年7月)を読みました。

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 「まえがき」で、「保守=大東亜戦争肯定論という等式は、疑ってみる必要があるのではないか? これが本書のテーマです。(中略)戦中派保守の論理とは、一体いかなるものだったのでしょうか。」(4〜5頁)と、明確な問題提起をして語り出しています。過去の論客たちの思索をたどりながら、その歴史を整理したいという思いが冒頭から伝わって来ます。
 しかし、中島岳志氏の著書にしては、しかも新書にしては、単調で読みにくい文章でした。
 さまざまな保守論客たちの思考の過程を通して、保守というものを照らし出そうとします。私が知っている人が、何人も紹介されています。これまでに知らなかったその人の物の見方や考え方を知りました。立場が違えば、このように違って見えるのかと、あらためて切り口による評価の違いに驚いています。
 それにしても、著者は先人の発言に耳を傾け過ぎたのではないか、と思っています。

 竹山道雄の『ビルマの竪琴』については、竹山自身の思想の紹介と確認が中心でした。『昭和の精神史』は、ぜひ読んでみようと思いました。ただし、私個人の興味と関心からは、もっと竹山の作品である『ビルマの竪琴』の内容にまで及んでほしいと思いました。この、よく知られる小説を読み解いて竹山の考え方を示した方が、『ビルマの竪琴』を知る年配者は、素直に理解が及んだように思われます。
 福田恆存については、国語政策に対する独自の意見を持つ方、という理解しかしていませんでした。一人の人間として、福田の思想と行動を見ていなかったことを教えられました。

 恐怖心を植え付けて服従を強いる構造の指摘が随所にあります。今現在、それは構造的に蔓延してはいないと思いながらも、現実には自分の周辺で思い当たることがいくつもあり、ハッとします。言葉を奪われることの恐ろしさについて、あらためて共感します。思考は停止し、条件反射として命令に服従するようになるのです。

 本書を通読して、中島氏が心からの叫びとしての言葉が少なかったせいか、解説を聞かされている印象が拭えません。誰それがどう言っているか、ということよりも、それをどう思うか、ということを楽しみにしていた私は、眠気が時々襲ってきました。
 戦中派保守の論客の見解を巧みに引用して、持論に導こうとしています。しかし私には、さまざまな論客の意見が渦巻く中を彷徨った、という読後感しか残らなかったのは残念でした。いつもの中島岳志流の切り込みの鮮やかさや、諸説を整理する手際の見事さを共に体験することがなかったのです。さらなる展開を楽しみにしています。【3】
 
 
 
posted by genjiito at 19:49| Comment(0) | ■読書雑記
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