2018年08月23日

2018年シベリア抑留慰霊上映会を観て

 河原町五条を少し下った所にある「京都 ひとまち交流館」で、「2018年シベリア抑留慰霊上映会」がありました。

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 このイベントのことは、先月末に立命館大学で開催された「戦争展」の折にいただいたチラシで知りました。(「立命館大学の戦争展で視覚障害者の資料を見る」(2018年07月31日))

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 今回のイベントは、「帰還証言 ラーゲリから帰ったオールドボーイたち その3 後編(抑留編)」(2階 大会議室)として、新たに編集作成された映像をもとにして開催されるものです。シベリアの強制収容所から帰った元シベリア抑留体験者のインタビュー証言による記録映像です。

 いただいた資料には、次のような文章があります。

ラーゲリから帰った者たちの証言

監督:いしとび たま

昭和二十年初秋 シベリア死の行進 は 始まった!
いったいあれはなんだったのか!

終戦後の旧満州(現中国東北部)から約60余万人の日本人達が貨車や徒歩で北に向かった。
旧ソ連長期強制抑留中の死者は約6万人。
しかし強制抑留者も死者もその正確な数字は今も不明だ


 1分間の黙祷で上映会が始まりました。
 そして、2時間47分の上映。
 時間の長さを感じませんでした。

 上映会場に集まったのは60人位だったでしょうか。その内、男性は証言映像に出ておられた方も含めて、3分の1ほどです。予想外に男性が少ないので、その意味を考えながら観ました。
 とにかく、証言映像に出て語られるのは、すべて男性です。兵隊として終戦を迎え、その後シベリアに抑留された男性たちの体験語りです。女性は最後にお一人、看護婦だった方だけでした。

 会場にいらっしゃった女性は高齢者です。そのことから思うに、旦那様か父親が抑留されたのでしょう。家族のことが知りたい、というのがここに足を向けられた動機かと思われます。この活動を支援しておられる方もいらっしゃるでしょう。中年の方は、制作に関わったスタッフの方でしょうか。

 男性は、証言をなさった方とその関係者以外は、同時代を生きた者への思いでご覧になっていたように思います。私のように、父や母のことをもっと知りたい、ということでお出での方もいらっしゃるようでした。

 これらはすべて、私の勝手な推測です。参会者の実態を知りたいと思うようになりました。

 証言者は、次の戦地から、それぞれの収容所に送られたそうです(映像を見聞きしながらメモをしたものなので、実際の確認はまだしていません。)。そこからさらには、各地に移送された方もいらっしゃいます。タシケントなどのラーゲルに収容された方の証言などに、私が父から聞いた話と合致するものがポツポツと出て来ました。

ウズベキスタンから移送された方の証言/3名
カザフスタン/2名(ウズベキスタンにも移送者1名)
トルクメニスタン/1名
ジョージア/1名
キルギス/1名
イルクーツク/5名
スベルドロフスク/1名
バイカル/1名
シベリア/1名
沿海地方/5名
アムール/1名
ハバロフスク/3名
ウラジオストック/1名(北朝鮮にも)
カムチャッカ/1名


 最後に、ナホトカなどで病院勤務に当たられた女性の話がありました。18歳の時だったそうです。看護婦は1隻に60名ほど乗っていたようです、とのことでした。

 男性の証言の中には、27名中お2人を除いて、まったく女性の方の話が出ませんでした。お2人の方の話には、語れないことがある表情でした。
 質問の仕方と、編集の関係なのでしょうか。このことは、すでにこれまでの2回のインタビュー集で語られているのでしょうか。後で確認したいと思います。

 証言の内容は、強制労働の過酷さと、思想教育の話が中心でした。
 ハバロフスクから送られてきた「日本新聞」を読んだか、ということと、「俘虜郵便」のこと、そして「宮城遥拝」などが、証言者に共通する質問の中にありました。

 私としては、キルギスにも収容所があったようなので、このことをこれから調べてみたいと思うことの一つになりました。

 全体を通して、人の運命の不可思議さを感じました。言い古されたことながら、まさに運命に翻弄される生きざまが、延々と語られているのです。貴重な記録です。

 なにはともあれ、ラーゲル生活を語れることの素晴らしさがあると思います。
 私の父は、話好きだったので、できることなら戦争体験を、シベリアでの抑留生活を語りたかったでしょう。しかし、語ろうにも語れないことが多くて、差し支えのないことだけを、少しだけ我々には話をした程度でした。

 私は、体験話には、語れるものと語れないものがあると思っています。
 それを含めての戦争を、あらためて考える機会になりました。
 私は、お題目を唱えるようにして「戦争反対」と言って、いかにも平和を願っているパフォーマンスができないのです。これは、満州とシベリアに行っていた両親からの、無言の想いがそうさせているのだと思います。
 自分の中でも時間のかかる問題なので、両親のことを思い出す中で反芻して考え続けていくことにします。

 この上映会では、いつもは、証言者として出演なさった方々と共にお話を聞くのが恒例となっていたそうです。しかし、今日は台風20号が上陸したばかりということもあり、今日に限っては中止にして帰りの足の確保をしてほしい、との挨拶があって閉会となりました。 

 この日に上映会が開催されたのは、スターリンが1945年8月23日に日本兵移送を命じる指令を出した日だからです。

 
 
posted by genjiito at 22:55| Comment(0) | *回想追憶
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