2018年07月22日

「コーニツキー版欧州所在日本古書総合目録」がリニューアル(その2)

 今回リニューアルした「コーニツキー版 欧州所在日本古書総合目録データベース」の冒頭に、そのプロジェクトの経緯が記されています。
 その後半には、次のように書いてあります。

入力は、2001年までは、コーニツキーが担当しました。その後のデータ入力は国文学研究資料館が引き継ぎ、伊藤鉄也が担当しました。2001年11月にweb公開を行い、検索システム等は大内英範が構築し、順次データの追加・更新を行なっている。


 この経緯について、思い出せる限り書き残しておきます。

 ケンブリッジ大学のピーター・コーニツキー先生が調査収集された資料に関して、国文学研究資料館がその整理に協力しだしたのは、私が着任してちょうど1年が経った2000年春頃だと思います。一昨日の本ブログ「「コーニツキー版欧州所在日本古書総合目録」がリニューアル(その1)」(2018年07月20日)に記したように、ロバート・キャンベル先生と北村啓子先生が、その窓口となっておられました。コーニツキー先生からは、カードに記されたデータがサンプルとして送られて来ていたようです。

 私が最初にそのデータを拝見したのは、コーニツキー先生ご自身が「わ」の部を入力された、『和合長久の伝受』に始まるデータのリストでした。「ファイルメーカー」からCSV形式に書き出したものです。ただし、それらのデータをどのようにしてデータベース化するのか、というところで中断していたのです。そうした中で、当時の松野館長の命によって、私がコーニツキー先生の調査カードをデータベース化することになりました。その背景には、国文学研究資料館の公式ホームページの立ち上げと運用を担当するホームページ委員会の委員長を、着任早々の私が担当していたことがありました。この時点では、これは国文学研究資料館の業務ではなく、あくまでもコーニツキー先生のお手伝いをする、というものでした。

 コーニツキー先生からのサンプルデータを通覧しながら、データベース化に関する私案を組み立てました。
 私が最初にコーニツキー先生に連絡を差し上げたのは、2001年1月30日でした。

はじめまして。
私は、国文学研究資料館・研究情報部・助教授の伊藤鉄也と申します。
私は、源氏物語の研究をしています。
さて、私は単身で、2月15日から25日までイギリスへ調査に行きます。
現在、私は国文学研究資料館のホームページを担当している関係で、先生がお作りになっている『古典籍目録 Union Catalogue of Early Japanese Books in Europe』の公開について、ご相談したいと思います。
(下略)


 この第一報を発信してから昨年3月まで、実に16年にわたるピーター・コーニツキー先生とのお付き合いが始まったのです。そして、それからというもの、毎年のように私がケンブリッジへ、コーニツキー先生が東京へと、さまざまな仕事を抱えて往き来し、データのやりとりやデータベース化に伴う問題点の検討などを続けてきました。

 このプロジェクトの始発となる、2001年2月に話を戻します。
 電子情報事業部長の安永尚志先生のご理解とご協力を得て、英国各地で調査をする一つの中に、コーニツキー先生との具体的なデータベース構築の打ち合わせを組み込むことが実現したのです。
 その時の旅行記の一部が、「トイレ表示 なぜ男は青、女は赤?」(2007年10月23日)に書いてありましたので、当該箇所を引きます。

 今から6年前に、初めてイギリスへ行きました。ケンブリッジ大学のピーター・コーニツキー先生のもとへ、データベース作成の打ち合わせで訪問したのです。これは、今も続いています。次のアドレスで公開していますので、興味のある方はご覧ください。
http://base1.nijl.ac.jp/~oushu/

 さて、、地図を片手に、キャスター付きのバッグを引きずって、ヒースロー空港から地下鉄と列車を乗り継いでケンブリッジに直行しました。ロンドンもケンブリッジも単色の街だというのが、第1印象でした。

 その日は、ピーター先生のご自宅にお世話になることとなり、先生とご一緒に夕食の買い物に出かけました。先生お手製のカレーを作ってくださるとのこと。初対面なのに買い物に一緒に連れて行ってくださり、カレーの材料やワインなどを物色するという、楽しい一時でした。
 買い物をしながら、いろいろな話をした中に、服装のことがありました。
 その日の先生は、赤いパンツを穿いておられたのです。ワインを選びながら、先生は私に、伊藤さんは赤い服は着ないの?、と訊かれたのです。
 私は、ネクタイでさえ赤は滅多にしないんですよ、と答えたら、赤い色は元気が出ますよ、という趣旨のことをおっしゃいました。赤が流行だとも。

 その夜、奥様を交えて先生の通訳を介して、インドの話で盛り上がりました。奥さんは、インドの文学・文化・美術の専門家で、ケンブリッジ大学の先生です。
 その奥様も、真っ赤なセーターでした。対する私は、焦げ茶のタートルネックのセーターに黒いズボンという、いかにも日本風の地味な格好でした。
 浮世絵やインド美術の実物や写真を見ながら、カラフルな話題になりました。色彩に関する感覚の違いに、日本文化を考えるきっかけをもらいました。

 以来、赤いモノを身につけるように心がけることが多いのですが、私にとっては、それでもささやかな冒険ではあります。


 先生のご自宅に泊めていただいた翌朝、裏庭での写真が残っています。今、先生はロンドンにお住まいなので、何度か拝見したこの庭も私にとっては懐かしいものです。

180722_peter.jpg

 そしてそのすぐ後、6月に再訪した時には、コーニツキー先生のお手元にあった調査カードの大半を、先生と2人で大学内の複写機を使ってコピーする作業に汗を流しました。

(以下、つづく)
 
 
 
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ◎国際交流
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