2018年08月06日

藤田宜永通読(30)『女系の教科書』

 『女系の教科書』(藤田宜永、2017年5月、講談社)を読みました。

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 〈女系もの〉のシリーズ化ということでは第2作です。第1作の『女系の総督』については、「藤田宜永通読(19)『女系の総督』は次作を期待させるか?」(2014年07月02日)に書いています。それを受けての本作は、もう第3作は不要という結論を私は出しました。ただし、この作者については、私なりによさを知っているつもりなので、これから一体どうするのだろうかという興味で、第3作が出れば読んでみたいと思います。出なければ出ないのが自然でしょうが。

 出版社を定年退職した森川崇徳は、カルチャーセンターで文芸講座の講師をしています。
 私と同い年なので、その背景がわかりやすいのです。そして、昨年までいた門前仲町が主人公の住まいとなれば、もう読まざるを得ません。
 何でもない日々の中で起きるさざ波のような出来事を、「物語」というよりも軽い「読み物」にしています。さらりとした風味です。
 後半で、小百合の三角関係に過去の男が闖入しての恋愛話が興味を惹きます。しかし、それも主人公である崇徳の女性との話が背景で回っているだけで、特に盛り上がることはありません。
 とりとめもない恋愛感情をちりばめた物語です。何気ない家族の話から、人間の生き様を描こうとしています。日常の小さな連鎖から、人生の何たるかを語ろうとしているのです。新しい物語の境地を探し求める、作者の迷いの姿勢が垣間見えます。
 認知症がかかった母親の延命処置についてのくだりは、現在高校の看護コースの生徒に教えている関係で、その成り行きを興味深く読みました。残念ながら問題は先送りで、話題にしただけ、というものに終わります。せっかく母の日記を探し出したのですから、ここはもっと突っ込んだらよかったのに、と思いました。軽くあしらう筆致を守るために、あえてそうしなかったのかもしれません。
 それにしても、長く読んできている藤田宜永の作品は、今や読み流すだけのものとなりました。年々軽い文章になっているので、内容に惹かれて読み入ることはなくなりました。老人の無駄話に付き合っている感覚です。早々と作家を退職した人の、日々の雑録を読まされている気分です。
 これまでの読者としての付き合いがあるので読むのであって、お金を払ってまで読む作家からは外れて来ています。最近の藤田作品は、これからどうするのだろう、という興味で読み続けています。まさに、藤田宜永はウォッチングの対象となりました。【2】


初出誌:「IN★POCKET」2015年7月号〜2016年1月号
 
 
 
posted by genjiito at 20:45| Comment(0) | □藤田通読
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