2018年03月16日

戦没者慰霊碑や旧王宮や2つの日本語学校を飛び回る

 マンダレーヒルの寺院に行きました。小さな鏡を貼り付けたモザイクがキラキラと迎えてくれます。

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 寺院の裏手の一画に、日本人戦没者の慰霊碑があります。特にお願いして、連れて行っていただきました。

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 「緬甸方面彼我戦没諸精霊」の碑は、2002年2月に、南太平洋友好協会によって建立されたものです。

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 向かって右側面には、次の言葉が記されています。

ミャンマーで戦没された日本
ミャンマー・英国全ての人々が
怨親平等に安らかに永遠の眠りに
つかれることを祈ります


 ここで使われている「怨親平等」という言葉は馴染みのないものです。調べてみると、以下のような説明がありました。

怨親平等(おんしんびょうどう)
仏教用語。怨敵と親しい者とを平等にみるという意味。仏教の根本精神は大慈悲であるから,にくい敵であるからといって憎むべきではないし,また親しい者であるからといって特に執着すべきではなく,平等にいつくしみ憐れむべきことをいう。日本では戦いの終ったあと,敵味方区別なく戦死者の供養塔を建立したという例があるが,これはこの精神の現れとみられる。
[ブリタニカ国際大百科事典 小項目版 2009]


 下段の台座には、次の言葉が記されています。

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謝辞
この慰霊塔の再建のために御尽力頂いた、
関係部局長及びミャンマー連邦政府のスタッフ、
そしてミャンマー日本友好協会事務局長
ウ・ヤット氏と御協力頂いた全ての人々に
心から感謝の意を表します。
   2002年2月吉日
       南太平洋友好協会


 また、背面には次の文言が記されています。

2002年2月吉日建之
     南太平洋友好協会


 私の両親は、戦時中は満洲にいました。終戦と共にソ連が約束を破って満洲に攻め込んで来たため、父はシベリアへ抑留されて強制労働に、母は命からがら日本に引き上げて来ました。その話は、「読書雑記(198)船戸与一『残夢の骸 満州国演義9』」(2017年04月28日)で書きました。父の話を聞いていたので、モンゴルへ行った時には、戦没者の慰霊碑にお参りに行きました。これも、「亡父の代わりに日本人墓地跡へ」(2010年01月17日)に書いた通りです。

 その父が、なぜか「インパール」に関する本を大事に持っていました。友人知人が、インパールの惨禍の中で無残なことになったからではないかと思っています。父は、何も語ってくれませんでした。
 今回ミャンマーに来るにあたり、その慰霊碑があることを知っていたので、どうしてもその慰霊の地に立ちたかったのです。一人でも多くの方々のことを思い出すことも、大切な敬意の表し方だと思うからです。父は、思い出すなどとは次元の異なる惨状を体験したのでしょう。思い出すことすら拒否していたように思えます。私は、船戸与一の『満州国演義』(全9巻)を読み終わった時、ビルマでお亡くなりになった方々の墓地か慰霊碑がある地に行こうと決めていました。

 モンゴルがそうだったように、このビルマ戦線でも無念の命が放置されたと思われます。今の幸せすぎるほどに能天気で平和な日本に生きる一人として、ご冥福をお祈りするしかありません。
 このミャンマーには、まだ数多くの日本人をはじめとする戦没者の墓地があるそうです。これは、イギリスの方もビルマの方々も含めて、再訪の折には、一つでも多く訪ね歩くつもりです。

 その後、マンダレーの日本語学校「HITOセンター」(日本センター)を訪問しました。

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 大阪大学3回生で、半年間の休学をして教えに来ている藤原さんの授業に参加しました。そして、グループに分かれてさまざまな問題を日本語で楽しく語り合いました。

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 みんなで、ことわざカルタをしよう、ということになりました。これが遊び感覚を超えた、楽しく日本語の勉強ができるゲームとなっていきました。インドで『百人一首』をやった時もそうだったように、カルタはしだいに熱中していくものなので、日本語学校でも有効に活用できる教材だと思います。生徒が読むと、さらに盛り上がります。

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 なかなか行く時間が取れなかった旧王宮に、最後の日になって何とか組み込むことができました。

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 ここは、1990年代末に再建されたものとはいえ、后たちの殿舎が王の謁見の間を囲むように50もあることに注目しました。これはまさに『源氏物語』の空間と似ています。淑景舎(桐壺)にあたる建物を探し、それらしきものを認定することにしました。正面奥を、『源氏物語』で言うところの淑景舎としておきましょう。廊下でつながっていないのでイメージは違うものの、遊びとしてはこれでいいでしょう。

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 監視塔から見おろすと、建物全体の配置がわかります。

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 差し上げる形の戸も、日本の蔀戸によく似ています。

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 このミャンマーでは、『源氏物語』が日本と共有できる文化資源の一つになることを、この場所に来て確信しました。

 先程訪問した「HITOセンター」の藤原さんから、移動中に早速メールで本屋さんを紹介してくださいました。
 教えていただいた書店で、これまで国立図書館や国際交流基金にはなかった『ビルマの竪琴』の別バージョンなど、日本文学と文化に関する翻訳本を10冊ほど購入できました。この書店には、ランダムに本が並んでいるので、時間をかければもっとありそうです。あらためて来る必要があります。

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 とにかく、ミャンマーには、予想をはるかに上回る日本文学および文化に関する翻訳本があることがわかりました。夏頃をメドにして、再度来ようと思っています。

 今日の最後は「のりき日本語学校」の訪問です。

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 ここは、ハイレベルな生徒を抱えておられます。校長のHtut Kyaw先生に、詳しいお話を伺いました。この学校は、もう15年の教育歴があるそうです。
 100人以上の生徒の内、日本語能力検定試験で5段階ある中の一番難しいN1の勉強している生徒は10人。その内の3〜4人が合格するそうです。N2は20〜30人が取り組んでいて、半数が合格するとのことでした。
 上級クラスの中に混じって記念撮影をしました。時間があまりなかったので、質問にも丁寧にお応えできず申しわけありません。またいつか再会を、ということでお許しください。

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 お昼頃に行った「HITOセンター」にも、難度の高いクラスがありました。ミャンマーにおける日本語教育は、その学習者の数といいレベルといい、今後ともますます伸びていく熱気を感じました。
 
 
 
posted by genjiito at 23:31| Comment(0) | ◎国際交流
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