2018年02月19日

2002年春にインドで書いた未公開日記(その1)

 2002年1月から3月まで、客員教授としてインド・デリー大学に行っていました。初めてのインド体験であり、それからというもの、今にいたるまで、毎年のように通うようになりました。

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 赴任中は毎日、丹念に日記を書いていました。これは、恩師伊井春樹先生ゆずりの秘技です。
 その一部は、1995年9月から発信していたホームページ「大和まほろば発 へぐり通信」に、インドから毎日アップロードして情報発信をしていました。
 しかし、その記事もいつしか雲散霧消し、そのホームページも私がしばしば経験するサーバーのトラブルによって、数年前から見られなくなっています。
 いろいろと問い合わせがあるので、今その「大和まほろば発 へぐり通信」の再建に着手しています。

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 しかし、まだ日にちがかかりそうなので、来週から行くインドに関係する記事だけでも、しかもまだ公開していなかった文章が見つかったことでもあり、それを少しずつここに掲載します。
 後日、「大和まほろば発 へぐり通信」が無事に再構築できたら、その時にこのブログに掲載した記事を「突然インドへ飛ぶ」の中に転送して、欠けていた日記を補完するつもりです。

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 以下の記事は、ホームページ「大和まほろば発 へぐり通信」の【新・奮戦記】の中にあるカテゴリー[突然インドへ飛ぶ]の中にある【現地編(1)】(デリーの土埃)に追記することになるものです。

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 以下のものは、その中でも「第6週 02/10〜02/16」の項目の2月11日に該当するものです。ただし、2月10日の記事はまだ見つかっていません。
 
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「現地編」(デリーの土埃)
(A cloud of dust in DELHI)


【2002年2月11日】

 朝食時に、ロシアやクロアチアやアゼルバイジャンなどを回っておられるお坊さんと、その二人の弟子の人が一緒だった。中近東の話を聞く。無縁だと思っていた国のことが、日常会話に出てきて驚く。今は、酷い状況にあるそうだ。
 N2君にホームページの〈インド編〉を見てもらう。後でコンパクトフラッシュに入れて渡すことにする。
 大急ぎで、K3の航空券の日時変更に行く。お寺の前からオートリクシャで。ネループレイスの横にあるパークロイヤルホテルまで、20ルピーでオッケー。ホテル内のタイ航空のカウンターで手続きをする。簡単にやってくれたが、デリーとバンコク間がキャンセル待ちとなった。バンコク・関空はオッケー。

 ネルー・プレイスは、まだ開店していない店が大半。

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 先日、K3が壊したガラスのベルの店へいく。男の人がいて、同じ物が同じところにあったので、事情を説明して買おうとしたら、60ルピーだというのである。この前は、50ルピーだったと言っても、わざわざ手に60と書いて、譲らない。K3はもういいですと言って、あきらめて店を出る。他の店を物色してから、また通りかかったら、先日の女性がお店にいたが、さきほどの男性もいたので、めんどうになりそうなので、やはり諦める。

 雨が強くなるばかり。歩いて帰る予定だったが、またオートリクシャで帰ることにする。車を探しているときに、お店の前にスラムの子らしき一群が雨宿りをしていた。その内の一人が、K3のそばに来て、施しを求めた。K3がお金をあげようとしたので、それを制して車のところへ走る。

 手近なところにいた運転手に行き先を告げると、メーターを使うと言うので断る。さらに、35ルピーだというのでやめて、その前の人のところへ行くと、15ルピーでいいというので、それに乗る。ところが、その運転手は行き先のサプナシネマを知らないらしくて、前の運転手に聞いていた。走り出したら、行き先とは遠い交差点で右折した。それも、その道なら左折したほうが近いが、わざわざ遠回りをする。私は道をすぐに覚えるので、このネルー・プレイスからの帰り道はよくわかっている。運転手は、知らないと思っているのだろう。とにかく、走るにまかせていた。大きな信号で、また隣に止まった別のオートリクシャの運転手に、サプナシネマへの道を聞いている。

 お寺に着いてから、15ルピーを渡すと、20を要求した。15でオッケーしたではないか、というと、天気が悪いことと、大回りをしたので、と理屈をいう。しばらく押し問答をしたが、雨も降っているのでさらに5ルピー硬貨を追加した。ところが、今度は、硬貨ではなくて10ルピーのお札を出せと言う。硬貨もお札も同じだというと、大声をあげてしつこくお前が持っている財布の中のお札を出せ、と言い張る。時間の無駄なので、お札で払った。まったく態度の悪い運転手である。気分が悪い。これがインドである。

 昼食のときにこの話をしたら、よくある話だそうだ。硬貨については、お札のほうが持ちやすいからだろうとのこと。N2君の持論だが、若いのは態度が悪いので、年配の運転手を選ぶと無難だとのこと。この間も聞いたことだが、ついうっかりしていた。インドでは、運転手は若い人を避けたほうが、精神衛生上いいようである。若い運転手がみんなではないだろうが、これが自分たちで自分たちの首を締めることになることなど、説明してもわかるはずもないので、こちらで気をつけることが肝心である。

 雨が降り続くので、今日は休養の日とする。

 部屋の湯沸かし器が壊れたままで数日。一度直ったが、また別の場所から水が漏れるのだ。二人の修理屋さんが来たが、結局だめだった。また来るそうである。

 K3に、デリー大学大学院生の2編の作文の入力をお願いする。きちんとした日本語に直しながら入力してもらう。「実のならない女の人」というP2さんの表現について、たまたま湯沸かしの修理でいたN6さんに聞く。なかなかわからなかったが、どうやら「若い女性」の意味であろう、ということになった。英訳からくる日本語のようである。

 T2先生が宿にお帰りになり、今日のインド・インターナショナル・センターでのピアノとフルートの演奏会の後の食事の予約やタクシーの手配を終えたとのこと。段取りよく配慮が行き届く先生である。

 また、湯沸かしの修理の人が来たが、見ただけで帰っていった。

 5時半に出ようとして、T2先生に今日は正装かと聞くと、ネクタイをした方が無難だろうということなので、大急ぎでカッターシャツとスーツを取り出す。大慌てでビニール袋を破り、ネクタイをする。早業で5分。待たせていたオートリクシャーで出発。乗って驚いたが、今朝方乗ろうとしたら向こうに行け、と言った人だった。T2先生専用の運転手である。
 GK-Mマーケットで写真を受け取る。雨の後なので、道がぬかるんでいた。泥跳ねを気をつけながら走るスーツ姿が、我ながらおかしかった。オートリクシャーがカメラ屋の反対側に着いたので、またもや大急ぎ。もらった写真のCD-ROMが一枚だったので、これでいいのかを何度も確かめた。

 コンサート会場には15分前に到着。なかなか立派なところだった。演奏は、私には最初は二人がちぐはぐに思えたが、T2先生はいいというし、K3も感激していたので、そんなものかと思うことにした。しだいに、フルートのテクニックが尋常でないことがわかった。ピアのを弾く女性が、一曲終わるごとにお辞儀をして楽屋裏に引っ込むのだが、そのお辞儀の時の手の位置と指が開いているのがみっともないと思った。
 アンコール曲はアベマリア。ヒンドゥーの国でキリストとは、何か意味があるのかと思ったが、T2先生は特にないだろうとのこと。

 レストランで食事。私は、ローストチキンのピーナッツ煮、K3はマトンのカレーだった。おいしかった。

 オートリクシャーで帰る。また、T2先生お抱えの運転手。言われた時間に、きちんと待っていたのだ。
 日本でもめったに経験しない、充実した時間を持つことが出来た。

 
 
 
posted by genjiito at 23:56| Comment(0) | ◎国際交流
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