2018年02月09日

国策としての観光立国について考えるための材料2つ

 最近、観光について考えることが多くなりました。
 具体的に個人的な結論に導くものではなく、まだまだ情報を収集し、それらを整理しているところです。そんな中で、最近のものを2つほど取り上げます。

 通勤で関西国際空港へ行く電車を使っています。朝9時頃の車内は、いつもこんな様子です。

180208_syanai.jpg

 この写真はまだ空いている時であり、通路に立つ人で埋まることもあります。
 もちろん、このスーツケースが持ち主の居眠り中に、コロコロと通路を所狭しと転がったりします。まだ、キャスターにロックの付いたものが少ないので、特に四輪のキャスターは勝手気儘に飛び回っています。座っている方の横の席が、しっかりとお土産物などの荷物置き場になっていることもしばしばです。

 観光客と地域住民とが共存して交通網を利用するにあたり、移動の動態を綿密に調査する必要性を痛感しています。まだ、日本は、観光立国とは掛け声だけで、実態の把握がなされていないと思います。
 日本に来たばかりの人と、満喫して自国に帰る人との違いも、しっかりと調査して対応策を検討すべきです。

 京都の市バスは、今春から前乗り後ろ降りの方式に移行していきます。市民の足であったバスが、観光客と共存できなくなったためです。乗降時間の短縮と混雑緩和に効果があるそうです。
 いろいろなことを模索していく時期にさしかかっています。

 京都新聞に、「古都の深層−秘められた場の歴史」という連載記事があります。「[11]祇園・丸山」(平成30年2月7日)というコーナーに「観光と密接に関わった性」という見出しのもと、次のような興味深い記述を見かけました。
 高木博志氏(京都大人文科学研究所所長)が、
 東京五輪の招致スピーチで、キャスターの滝川クリステルさんは「おもてなし」を、日本の文化とアピールした。とりわけ京都の花街、祇園は「京都らしさ」と「もてなしの文化」の粋とされる。しかし京都の花街の歴史には、バラ色だけでは描けない、性の隠蔽があるだろう。

と前置きして、以下のように語っておられます。

 四条通の南側、現在の華やかな祇園甲部歌舞練場の付近には、定期的に梅毒検査をする駆黴(くばい)院があった。
 明治41(1908)年の京都市の統計書によると、祇園甲部(四条通南側、北側西部)の芸妓540人、娼妓91人に対して、祇園乙部(四条通北側東部)には芸妓64人、娼妓178人がいた。京都には、祇園をはじめ島原・宮川町・先斗町・上七軒・五番町・七条新地など、花街や遊廓が多くあり、それは観光とつながっていた。たとえば大正4(1915)年の大正大礼の時には、観光ブームで京都の花街は遊客で賑わった。
 もっとも社会における性のあり方は歴史的に変化してきたし、「都をどり」や井上流の京舞に代表されるように、明治期以降、花街から発展した芸能や文化は重要だろう。しかし昭和31(1956)年の売春防止法制定以前には公娼制があり、性と観光も密接に関わっていた。祇園に代表される花街の「京都らしさ」と「もてなしの文化」も、多分に近代に創りだされたものであるし、牧歌的なイメージだけで歴史は語れない。


 観光地における歴史や文化の再確認は大切なことだと思うようになりました。「らしさ」や「おもてなし」だけでは簡単に片づけられないものが、観光の背後にあるようです。観光による利益だけでなく、その裏側の見えにくいものはもちろんのこと、隠されてきたものも俎上に置いて考えていきたいものです。これは、日本に住む者にとっても、多くのことを新たに気づかせてくれることでしょう。

 今わたしは、日本が国策としての観光立国に向けて突っ走って行くことに、少しずつ疑いを持ち出しています。日本の伝統的な文化や特有の歴史が、観光客の価値観に迎合する中で、変質を迫られている実態を見聞きするようになったからです。その損失の重さが、しだいに気になるようになりました。これは、経済効果とは違う視点で、この国の歴史や文化を再認識することにつながるはずです。

 難しいこととしてではなく、日常をしっかりと認識する中で、さまざまな問題があることを意識して、身の回りから観察していきたいと思います。
 
 
 
posted by genjiito at 20:49| Comment(0) | ◎国際交流
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。