2018年02月02日

歌詞が耳や目を通して高校生の心にどう届いているのか

 高校の日本文学史の授業で、今日は『閑吟集』(宮内庁書陵部蔵)の複製本を回覧しました。

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 これまでの古写本と違い、袋綴じであることに注目です。装幀は四つ目綴じで、縦横20cmほどの枡形の本です。黒板に模造紙を広げ、プロジェクターを使って、四つ目綴じの本の作り方を説明した画像を映写しました。この本のカバーにあたる帙も、作り方は簡単であることを、これも映像で確認しました。
 器用な生徒なら、いろいろなカバーや和綴じ本を作ることでしょう。身近なものとしてこうした和装本に触ったことを機会に、自分のノートや日記を和風に仕立てることを勧めました。

 『閑吟集』は、今でいうところの歌謡曲の本なので、そんな話でこの本の内容や性格を説明しました。生徒たちは、AKB48 や Kポップなどを聞いているそうです。自分の好きなアーティストの歌詞を集めた本があるのかどうかを聞いたところ、知らないと言っていました。

 私が小学生だった頃には、『明星』や『平凡』の付録として、当時流行していた歌謡曲の歌詞を集めた冊子が付いていました。姉が買ってきた雑誌の付録を、時々見ていました。昭和30年代のことです。ラジオで聴いた歌の歌詞が、こうした付録で確認できたのです。演奏用のコード進行が歌詞の行間にあったので、ギターで弾いて歌ったりもしていました。今なら、ネット経由で歌詞を表示させたり、歌詞のテキストを手に入れたりしているのでしょうか。それとも、歌詞を目で追うことはないのでしょうか。

 冊子に印刷された歌詞を目で追うのではなくて、歌を聴きながら歌詞を耳だけで理解や認識することは、どれだけ可能でしょうか。個人的な考えとしては、困難を伴うと思っています。いや、今の若者たちは、目で文字を追うことから自由になっていると思われます。こうした共通の話題を通して、今の若者像を自分なりに作り上げたいと思っています。

 流行歌と言っても、いつの時代も「はやりうた」はあるものです。楽曲そのものや、その歌詞の受容形態が変わってきている、と思われます。これは、メディアの変遷と密接に関係するものに違いありません。

 私は、アグネスチャンの私設後援会の会長をしていたり、モーニング娘。に関する資料を片っ端から集めていた時期があります。そんなことから、生徒たちが今の歌手や歌詞とどのように接しているのかは、大いに興味があります。しかし、授業という限られた時間の中ではほとんど聞き取ることはできません。かと言って、宿題にするわけにもいきません。長期休暇の宿題なら可能かもしれません。いつかまた、今年の夏にでも、歌詞が耳や目を通してどのように生徒の心に届いているのかを、調査してみるとおもしろいのでは、と思っています。
 
 
 
posted by genjiito at 20:40| Comment(0) | *身辺雑記
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