2017年10月28日

[町家 de 源氏物語の写本を読む](第2回)の報告

 9月に予定していた[町家 de 源氏物語の写本を読む]の第2回目は、颱風のために休会となりました。そのため、今日は8月以来の第2回目となります。

 小雨の一日、 be京都で『源氏物語』「須磨」巻を読み進めました。

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 今日は、いつものみなさまは多忙な秋ということもあり、参会者3人で丁寧に文字を追いかけました。
 初めての参加者もあり、いつもよりも一文字ずつ丁寧に確認しました。

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 今日は、第2丁裏から第3丁表まで、ちょうど見開き分を見たことになります。
 そんな中で、一行に「れ」が崩し方を変えて3例もあったので、ここに例示して確認しておきます。

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 写真の1行目上から4文字目の「れ」と、最終行の頭の「れ」は、今でもよく見かける「れ」です。
 後ろから3行目を見ると、この一行に3例の「れ」が確認できます。いずれも、今の「れ」で字母は「礼」です。
 この行の上から2つ目の「れ」が、今もよく見かける「れ」です。
 上から1つ目の「れ」は、漢字の「礼」の姿を見せ、下から3文字目の「れ」は旧漢字の「禮」の姿が明瞭に見て取れます。
 この一行において、平仮名の「れ」が3パターンの字形で書かれていることについて、今日は一緒に考えました。
 一般的には、書写者が同じ形の平仮名を避けて、あえて別々の字形で書いたと説明されそうです。しかし、鎌倉時代の古写本をいろいろと見ていると、書写者が美的センスを筆写の際に見せることはあまりないと言えます。あくまでも書写にあたっての原本に対して、字母レベルまで忠実に書き写すことが鉄則であったようです。そのため、まったく同じ字形の平仮名や漢字を隣の行と並んで書かれていたり、同じ字形の文字を続けて書写したりしている例は枚挙に暇がありません。
 写本の書写者は、書き写しながら本文を適当に書き換えていた、などと間抜けな思いつきを言う方がいらっしゃいます。写本を読んだことのない方に限って、書きながら書き換えている、などおっしゃるようです。書写されている状況や、書き写された文字のつながりを仔細に見ると、自分の首を絞めるような勝手気ままな書き換えなど、とてもできるものではありません。
 同じように、筆者が自分の美的感覚で文字の形を変えたり、果ては字母まで変えて写していた、ということも、私の経験からは言えないと思っています。字母を間違えて写した時には、気付いた時点で、その文字を小刀で削ってから、なぞるようにして重ねて親本通りの字母で書いています。
 古写本の書写にあたって、書写者の美意識を持ち込んで判断することは、あまりにも情感を交えた恣意的な解釈です。
 そういう視点でこの一行に見られる3例の「れ」を見ると、まずは親本にこのように書かれていたものを写し取った結果だ、と考えるのが普通です。そして次に、その親本の書写者がこの3例の「れ」について、そのさらに元となった親本の文字を、書写者として変更の手を加えたかどうか、ということを調べることになります。
 ただし、このハーバード大学本「須磨」の親本がどのような本だったのかは、まだ確認できていません。おそらく、平安時代の『源氏物語』の本文を色濃く伝える写本だったことでしょう。このことは、今後の調査と研究に委ねるしかありません。今は、こうした例がある、ということの確認に留めておきます。
 
 
 
posted by genjiito at 23:57| Comment(0) | ◎NPO活動
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