2017年03月26日

『陰翳礼讃』の日々を送って思うこと

 東京の宿舎の管理人さんに部屋に来ていただき、官舎を退去するにあたっての現状確認をしていただきました。入居時の状態に戻して部屋を退去することになっているので、保管してあった器物で復旧しました。
 各部屋に個人的に取り付けた照明器具は外して、最初に付けられていた裸電球に付け替えました。天井からぶら下がるコードに差し替え、その先に電球をねじ込み、口金のところにあるつまみを捻ると点く、あれです。

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 40ワットの裸電球は、旧懐の情を催します。しかし、薄暗い部屋になるので、物をじっと見つめるようになります。子供のころは、30ワットや40ワットの裸電球でした。今から思うと、よくもあんなに暗い明かりで生活をしていたものだと、あらためて文明の進歩を実感しました。特に今、照明をLEDに変えると、眩しいくらいに明るい部屋になります。明るさに慣れてしまうのでしょうか。
 人間の感度は、上がったのでしょうか、それとも下がったのでしょうか。
 それにしても、この40ワットの裸電球の生活も、数日が過ぎると目が慣れてくるから不思議なものです。薄暗い部屋の隅にあったゴミが、なんと見えたりするのです。谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』を思い出しました。
 瞬間湯沸かし器も撤去し、トイレも蓋だけのシンプルなものにしました。さすがに、汲み取り式に戻すことはありません。
 生活の原点に返った新鮮な気持ちで、外界と遮断された日々を送って来ました。
 食べ物に関しては、昨日書いたように、近くにコンビニエンスストアが3軒もあることのありがたさを痛感しました。火が使えない、電子レンジが使えない等、煮炊きや温めができません。そんな環境の中に身を置くと、コンビニは実に重宝します。高齢者にとってありがたい存在であることも、今回あらためてわかりました。短期間とはいえ、こうした不便な生活をする中で、このコンビニの役割を考え直しました。コンビニには、災害時のみならず、日常生活を支援する可能性が、もっと考えられるように思いました。
 見方を変えると、物を持たない身軽な生活が透けて見え出したのです。私のように、ことさらに物を溜め込む生活パターンの者にとって、これは新たな生き方が拓けてきました。身近にコンビニがあれば、生活の簡素化と共に多様さが生まれます。
 すでにこうした論議は、ネットやテレビに流れていたように思います。しかし、自分自身がそのことを身をもって体感すると、こうしたシンプルな生活の実践に注意が向きます。
 4月からの私の新しい生活に、さらに新しいものの見方が加わりました。社会の仕組みと文化が発展する中で、自分の居場所をもう一度確認してみる必要がありそうです。そして、シンプル イズ ベストという生き方を、意識して日々を送ってみようと思うようになりました。
 
 
 

posted by genjiito at 23:36| Comment(0) | *回想追憶
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