これは、二千円札に印刷されたことで広く知られるようになった、国宝源氏物語絵巻詞書の「十五夜の夕暮に〜」という文言の場面に当たります。
なお、この二千円札の詞書は、二種類伝わる「鈴虫」の絵と詞の内の第一場面のものであり、二千円札の左上の絵とセットのものではありません。二千円札に採択された絵は第二場面です。第一場面の絵巻詞書の冒頭にある、タイトルとしての「すゝむし」という文字列がほしかったがための選択かと思われます。(拙著『源氏物語の異本を読む−「鈴虫」の場合−』29頁に詳説)
さて、国冬本に長文異同がある箇所の前後に関して、その字数に近い分量の500文字程を切り出して、使われている語句を字母レベルで較べてみましょう。
これは、私の仮説である、「十五夜の夕暮に〜」の直前でこの「鈴虫」巻は当初は終わっており、その長文を破棄した後に「十五夜の夕暮に〜」を書き足したのではないか、という提言の可能性を考えるヒントを得るためにも有益な検討となるものです。
ここでは、「御」と「心」に関する用例を見ます。
次の表で、左端の「異同前(539字)」は539文字もの長い異文の前にある文章の一群から抜き出したものです。
右端の「異同後(537字)」とある列は、539文字もの長い異文の後の「十五夜の夕暮に〜」以降の文章の部分からの抜き出しです。
漢字「御」で始まる語句については、「異同前(539字)」に7例、「長文異同(539字)」に2例、「異同後(537字)」に3例見られます。「7−2−3」です。
さらに、「御心」については、「3−0−0」です。
このことは、「心」という漢字の出現数からも似た傾向がうかがえます。
「異同前(539字)」では3例、「長文異同(539字)」では8例、「異同後(537字)」では3例なので、「3−8−3」となります。
この「御」と「心」の出現傾向から、「異同後(537字)」の「十五夜の夕暮に〜」は、その前とは異なった本文の様態を見せているといえます。
この事例から、「鈴虫」の物語は、「異同前(539字)」と「長文異同(539字)」で一旦は終わっていたと想定する私見の妥当性は否定されないと言えるでしょう。
物語が、上記表の真ん中に位置する「長文異同(539字)」を破棄した後に、それを挟むようにして存在する旧「異同前(539字)」と新「異同後(537字)」をつなげることで、現行の「鈴虫」が構築されているという拙著『源氏物語の異本を読む−「鈴虫」の場合−』で述べた仮説は、ここでの用語例の出現傾向から見て、決して的外れなものではありません。
また、「異同後(537字)」には「へ多て【心】」という、その前にはない形の使用例もあります。
今、ここではそれぞれの文章の意味は考慮せずに、あくまでも切り出した範囲内で使われている語句の様態と用例数からの分析に留めています。
こうした検討は、さらに用例を広げて見ていくことで、より説得力を持った結論へ導かれるものだと考えています。
以下、「その3」に続きます。
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