2016年12月02日

谷崎全集読過(28)「呪はれた戯曲」

 この小説は、劇作家である佐々木の秘密を摘発し、その背景にあった恋愛事件を戯曲という創作を借りて読者に語る形式をとっています。谷崎特有の、「善と悪」がその底流にあります。
 佐々木は、妻玉子のか弱さと鈍感さに安心し、愛人の襟子に心を許していました。しかし、ある時、玉子の滂沱の涙にひるみます。予想外の女の姿を見たのです。
 この、玉子が涙を溢れさせる場面は、佐々木を通して執拗に描かれています。人間が泣く場面としては、これだけ言葉を尽くして語るのは珍しいと思います。涙をこれほどまでに詳細に分析して語ったものは、これが一番秀逸なものではないでしょうか。
 佐々木は日記を書いていました。その半年間の記述には、玉子を殺すまでの心の軌跡が記されていたのです。妻のヒステリーと男の神経衰弱は、ますます加速していきます。そして、男は妻への憎悪を抱くようになったのです。
 この作品では、身勝手な男の言い種がくどいまでに語られます。
 作中に戯曲の台本を配するなど、奇抜な構成も見せています。芸術と現実を語りながら、犯罪の実行計画が展開していくのでした。
 戯曲の中の言葉としながらも、男は次のような身勝手なことを言います。


(井上)うん、忌揮なく云へばまあそんなものだ。しかしお前が死なゝければ、己には死以上の苦痛が來る。お前の命と己の命と、孰方が貴いかと云へば、己の立ち場を離れて考へて見ても、己の命の方が貴い。お前は何の働きも自覺もない平凡な女だ。己は此れでも才能のある藝術家だ。孰方か一人の命を失つて濟む事なら、お前の命の失はれるのが正當の順序だ。それが當然の運命だ。無慈悲のやうに聞えるけれど、己は決して理由のない事を云ひはしない。理窟から云へば己は自分で手を下してお前を殺しても差支へはない。たゞ己には膽力がないから、進んで其れを實行する事が出來ずに居る。………(『谷崎潤一郎全集』新書版第六巻、199頁下)


 最後まで、男のエゴイズムが剥き出しの物語です。
 劇中劇という凝った仕掛けを用い、巧妙な口調で殺人事件を成立させたのです。ただし、読者としてはおもしろい話として読めても、非現実的な論理と理屈で構成された内容に、大いに違和感を抱くのは当然です。あくまでも、谷崎の実験的な小説だと言えるでしょう。【4】
 
 
初出誌:『中央公論』大正8年5月号
posted by genjiito at 22:35| Comment(0) | □谷崎読過
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